人間は楽をしたいがために先の見えない苦労をする

人間の悩みっていうのは、つまるところ「楽をしたい」っていう本能が根っこなんじゃないか、ということに思い至りました。
 
 
例えば「将来が不安」っていう悩みなんかは
「将来『楽』ができないかもしれなくて不安」と言い換えることができます。
 
 
「人から認めてもらえない(認めて欲しい)」ってことで悩むのは、人から認めてもらえる(承認欲求を満たしてもらえる)状態っていう「自我の安定」という意味での「楽」が欲しい、ってことです。
 
 
「やりたくないことを我慢して続けている」っていうのも、結局それをやることで「現状の安定」という「楽」ができるからやっているわけです。
 
 
 
で、別に「楽をしたい」っていう本能が悪いわけではありません。だって本能だし。
 
ただ、多くの場合、楽をしたいから生み出している悩みで余計な苦労をしていたりします。それで死んじゃったりとか。
 
なんでそういうことが起こるのかっていうと、「楽」をするための手段が目的になっちゃっているから。
 
「安心(楽)したいから人から認められたい」
  ↓
「人から認められなくて辛い」
  ↓
「人から認めてもらえるために努力しよう」
  ↓
「努力できない自分はダメ人間」
  ↓
「鬱だ死のう」
 
 
こういうのを「自己目的化」と言います。
で、自己目的化がされると、そもそもの目的が分からなくなっちゃうの。
 
斯(か)くして人は悩みのラビリンスに囚われるわけです。
 
 
って考えると、悩みに対する一番の処方は
「悩むのをやめる」ってことになる。
 
だって、それが一番「楽」じゃん(笑)