「大慈大悲」の感覚は誰でも持てる。

ちょっととんでもない話をするんだけど、ほんの数日前のことです。 

仏教の「大慈大悲」の感覚が急に芽生えました。
 
「大慈大悲」っていうのは、個人的な「慈悲」を超えた、仏様が一切の衆生に対して向ける「慈悲」のこと。
 
「お前は釈迦か!」みたいな話なんだけど(笑)
そこは「超次元コーチ」ですから。日常的に次元を超えていろんな世界にアクセスしているわけです^^
 
(なので、”芽生えた”っていうよりは、その世界に”アクセスした”ってこと)
 
 
で、「大慈大悲」ってどんな感覚なのかっていうと、常に”悲しい”んですね。
 
もちろん、自分自身の問題に対するものではなく、全ての人が抱えている悲しみに対する共感の気持ちで。
 
それはリアルに問題を抱えていて悲しみを感じている人に対するものだけでなくて、無明の中で他人や自分を傷つけることに喜びを感じている人に対しても「可哀想に。悲しいなぁ」と感じているわけです。
 
「本人が幸せだと思ってるならいいじゃん」ではないってこと。
 
 
じゃあ、常に悲しみを感じている仏様は不幸なのかっていうと、そうではなく。
 
一切の衆生の悲しみに共感する「大悲」とセットで、
一切の衆生の喜びを願う「大慈」があるわけです。
 
 
それはコーチング的に言えば「みんなが本当に幸せな世界」というゴール(大慈)を持っていて、その上で現場にある問題(大悲)が見えているということ。
 
 
それっていうのは、すんごく豊かな世界です。
 
 
「まずは自分を満たしましょう」
「自分が楽しく在れることを大切にしましょう」
 
そういうのも大事だと思う。
 
でも、人間ってのは関わりの中で存在しているものだから、自分だけ幸せでもそれって本当の意味じゃ幸せじゃないんだよ(自分を愛することはあくまでも出発点です)。
 
「仏様」の話をしたけれど、これは別に宗教の話ではなく。
 
「仏様」も「大慈大悲」の概念も人間が作り出したもの。
であれば、人間は誰だって「仏様」の「大慈大悲」を持てるってこと。
 
人間にはその資質が生得的に備わっているんだよ。
 
 
自分を取り巻く世界の中にいる人たちが抱えている悲しみを思い、その人たちの幸せを願うこと。
 
誰もが当たり前だと思っている悲しみ(問題、issue)に目を向け、慈しみの心をもって喜びへの道(解決策、solution)を模索すること。
 
 
それっていうのが一番幸せな生き方なんじゃないかな?^^