果実は「求めること」の中にある

ルネサンス期に活躍した名門メディチ家というのは現在も末裔がおり、押しも押されぬ大貴族様の地位を占めているそうです。
 
で、その一族の若い人がボヤいていたのが、
「僕は働きたいんだけど、一族が『みっともないからやめろ』って許してくれないんだよね」ということ(実際に会った人が言っていました)。
 
「すごい世界だよなぁ」と思いつつも、貴族様というのも不自由なもののようです。
 
 
お金がいっぱいあって、地位も名誉も揺るぎないものがあったとして、それで満たされるわけではないってこと。
 
 
じゃあ、そんなものを求めることに意味はないのか?
 
違います。
「求めること」にこそ意味があるのです。
 
 
お金も地位も名誉もない人が、
お金と地位と名誉を求める。
 
お金も地位も名誉もある人が、
敢えて一族の反対を押し切って労働者になる。
 
そこには動きがあり、目的に向かう喜びがあります。
 
「生きる喜び」ってのはそういうことです。
 
 
今の自分が何者だろうが関係ない。
今、この瞬間、望むものに向かっているか。それに対して命を燃やしているか。
 
他人から認められなくても自分はこれをやる!ってことをやっているか。
 
 
命の果実はその中にあるのです^^