自由を飼いならすだけの甲斐性

創造性なき自由は絶望なり
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例えば、何か物を作るとして、

なんの経験もない人がいきなり、
「さあ、どうぞ!自由に作ってください」
 
と言われても、途方に暮れたりするわけで、それよりも
 
「まずはコレコレこんなふうに作ってくださいね」 
 
と、道筋を示してもらった方が上手に作れるし、楽しめたりします。
 
で、そういった過程の中で「物作り」の技術を学び、自分のイマジネーションを作品に落とし込む方法を身につけていくことで初めて
 
「さあ、どうぞ!自由に作ってください」
 
っていう状況を愉しむことができるわけです。
 
 
人生も全く同じです。
 
「突発的ラッキー」を得て経済的自由を得たところで、その自由を飼いならすだけの甲斐性がなければ、自由に溺れるだけであり(宝くじがで大金をせしめた人のほとんどが数年以内に以前よりも貧乏になる、という話を思い出してください)、 
 
その自由を活かしてやりたいことがあるからこそ、その自由に意味が生まれるのです。
 
 
別に「現在の不自由な状況の中で一生を過ごしてください」ということを言いたいわけではありません。
 
自由が必要であれば、必要なだけの自由を求めれば良いのです。 
 
 
さて、あなたが求める自由は何をやるための自由なのでしょうか?どれだけの自由が必要ですか?
 
 
どこか遠くにある「自由の世界」を求めるよりも、今、やりたいことをやってください。もし、それにお金が必要なのでれば、その分のお金はきっと稼げます。
 
「やりたいことがわからない」っていうのは、現時点ですでに自由に溺れているということです。
 
 
まずは目の前の自由から飼い慣らそうぜ^^