波動と脳内物質

「波動」というとスピリチュアルの人が使う概念ですが、実際は誰でも体感できるものであり、物理にかなり近い存在です。
 
なので、波動の状態によって意識はがらりと変わり、それによって物理空間の身体でも「脳内物質の分泌」という形で直接的に影響を受けるわけです。
 
ということで、今回は「波動と脳内物質の関係」について考察してみたいと思います。
 
 
まず、波動が軽い状態になると「無条件の幸せ(楽しさ)」を感じるようになります。
 
何があっても、何がなくても、ただただなんとなく楽しい。で、他人に対しての共感力も高まります。
 
これは脳内物質で言えば「セロトニン」が分泌されている状態です。
「セロトニン」とは、まさに「ほへ〜っ♪」とした平和な幸福感を感じる脳内物質です。
 
これが枯渇すると鬱病になるため、まさに人間の根本的な幸せのために必要不可欠な存在だと言えます。
 
 
 
逆に、波動が重い状態になると、「あれが嫌!これが嫌!」と様々な物事に不満を感じるようになり、ネガティブな感情を感じやすくなります。
 
これはつまり、ストレスが身近になるということ。
 
そうなった時に分泌されるのが「ノルアドレナリン」です。
「ノルアドレナリン」は集中力と生み出し、身体能力を高める「アドレナリン」を分泌する材料となります。
 
「ノルアドレナリン」と「アドレナリン」は原始時代では狩りの際の「戦うか逃げるか(Fight or Flight)」という状況で使われていたもので、IQを下げ、感覚を閉ざし、外敵や困難に立ち向かう闘争心を燃やすために使われていました。
 
「ノルアドレナリン」は怒りや恐怖に基づいた爆発的な行動力を生み出します。
 
 
「ノルアドレナリン」と「アドレナリン」を過剰に分泌させるリスクは、鬱病やヒステリーなどの精神疾患を引き起こすこと。
 
これらが分泌された際にはその働きを抑えるために上に書いた「セロトニン」も後から分泌されるのですが、過剰に分泌させることで枯渇状態になり、鬱病を発症します。
 
また、ノルアドレナリンが枯渇すると神経が過敏になり、些細なことでイライラするヒステリー状態になります。
 
 
さらに、「あれが嫌。これが嫌」のストレスが強ければコルチゾールが分泌されます。
これは、筋肉を分解し、免疫力を下げ、発ガンのリスクを高めます。
 
 
某ヒーラーさんによれば、
「ガンになるのはエネルギーが黒い(波動が重い)人」とのことなのですが、こうやって考察してみると合点がいきます。
 
 
さて、こうしてみると、
「セロトニンは良い。ノルアドレナリンは悪」というふうに捉えてしまいがちですが、極端に波動が軽い(「セロトニン」が優位すぎる)状態には、それはそれで現実を生きる上では弊害があります。
 
「セロトニン」とは、言い換えれば「満足ホルモン」です。
つまり、こればっかだと現状維持に走ってしまい、行動力が生まれないわけです。
 
 
で、それの何が問題なのか?という話なのですが、
僕らが喜びや幸せを感じる上で最も重要な脳内物質である「ドーパミン」が分泌されにくくなってしまうということです。
 
「ドーパミン」は脳内の「報酬系」と呼ばれる神経回路から分泌されるもので、何かの条件を達成したとき、ご褒美(報酬)を得られた時に流れます。
 
 
「セロトニン」が静的(平和的)な「ほへ〜っ♪」幸福感なのに対して、
「ドーパミン」はダイナミックで強烈な「うおっしゃー♪」という喜びや快楽を生み出します。
 
それはまさに病みつきになるレベルで、”下手な方法”で分泌させる癖がつくと様々な依存症や中毒状態を作り出してしまいます。
 
…というと、あまりよろしくないように感じるかも知れませんが、”適切な方法”で分泌させる限り、健全な行動力の源になり、「生きる喜び」を感じさせてくれるのです。
 
 
「セロトニン」が優位すぎるとそれだけで満足してしまうため、「何かを達成しよう!」という強いモチベーションは生まれません。結果として「報酬系」が動かずに「ドーパミン」が分泌される量が限定されてしまいます。。
 
(厳密にはご飯食べたり、お酒を飲んだりすればそれなりには出ますが、大した量ではありません)
 
 
この辺は個人的な感覚に基づく話になるのですが、「セロトニン」ばっかりの状態と「ドーパミン」がしっかりと流れている状態では「幸せ量」には天と地ぐらいの開きがあります。
 
セロトニン優位で「ほへ〜っ♪」とした幸せを感じるのも良いのですが、それだけで終わらせてしまうのはもったい話なのです。
 
 
なので、普段はドーパミン優位の「生きる喜び」を感じながら、時にはセロトニン優位の「ほへ〜っ♪」とした幸せで緩むのがちょうど良いバランスなんじゃないかなぁ、と思います。
 
 
 
そして、「ノルアドレナリン」も決して悪者ではありません。
現状に対して不満を持つ。「あれが嫌。これが嫌」っていうのがあるからこそ「報酬」という概念が生まれるのです。
 
過剰になるのが問題なのであって、適度に分泌させることで楽しみとしての刺激やスリルを生み出し、生活に張りをもたらしてくれるわけです。
 
 
 
「喜びで満たされた人生」を送る上で大切なことは、いかに健全な形でドーパミンをたっぷり分泌させるか、ということ。
 
「“下手な方法”で分泌させる癖をつけると危ない」と書きましたが、例えば薬物を使うのはその最たる例ですし、酒で分泌させる癖がつくとアルコール中毒のリスクがあります。
 
買い物依存症なんてのもありますし、承認欲求も適切であればポジティブに働きますが度が過ぎればエネルギーヴァンパイアになってしまいます。
 
 
 
「健全な形で分泌させる」というのは、そういった物理的なもの(薬物や酒など)や、動物的本能から離れ、なるべく抽象度の高い情報空間に対して分泌させる、ということです。
 
 
例えば、
「人を喜ばせて嬉しい」
「なりたい自分に近づけて嬉しい」
「欲しいのに手に入れられなかったものが手に入って嬉しい」など。
 
 
インスタントに手に入るもの(薬物や酒、手軽な承認欲求など)で分泌させる癖がつくことには身体依存を始めとした様々なリスクがありますが、未来の手に届かないところに報酬を設定することで、それを手にいれるための行動を生み出してくれます。

 
実はドーパミンは、それを手に入れた瞬間だけでなく、それが手に入るという期待を感じるだけでも分泌されます。
 
つまり、欲しいものを手にいれるために行動をしている間もドーパミンは分泌されますので、結果として「今ここに存在しないもの」を追いかけた方が長い期間に渡って喜びを感じ続けることができるのです(だからゴールを設定すると人生が喜びで溢れるってことです)。
 
 
 
ですので、波動の存在や性質を知っておくのは便利ですが、それに振り回されるのは決して良いことではありません。「軽い=善。重い=悪」ではないのです。
 
そして「ちょうど良い波動レベル」が決まっているわけでもありません。それはその人が何を求めるのかによって変わるからです。
 
大切なのは概念ではなく「自分が喜びを感じることに素直になる」ということ。 
 
自分は何に喜びを見出すのか?
自分は何を得たら喜びを感じるのか?
 
想像するだけで嬉しくなってしまうものは何なのか?
 
 
それを追求することが嬉しくて、”今ここ”が強烈に幸せになっている状態。それこそがその人にとっての「ちょうど良い波動レベル」です。