創造性なき自由は絶望なり

多くの人が「自由になりたい」ってことを言ってたりするわけだけど、
 
「自由」の本質ってこういうことよ↓
 
5億年ボタン
 
 
不自由っていうのは必然性を生み出し、そこに喜びが生まれるわけです。
自由になるってことは必然性がなくなり、それだけ喜びを生み出す「素」がなくなるってこと。
 
「だから自由なんか求めても仕方がない」ってんじゃなくて、
「自由を飼いならすためには相応の創造性が必要ですよ」って話。
 
「より深い喜び」を得るために自由は必要だけど、それと同時に「マニュアルのない中で物を生み出すような創造性」も必要になるのです。
 
 
もし、創造性を育む前に自由を得てしまったら…そこには絶望的な「5億年ボタン」の世界が待ち受けています。
 
(「5億年ボタン」の主人公は504万9272年かかってようやくその絶望的なまでの「自由」を飼いならすことができたわけです)
 
 
 
なので「なにをするための自由なのか?」っていうことの明確な答えがないままに自由を求めることには意味がないわけ。
 
 
で、世の中うまくできているもので、いわゆる「経済的自由」を真っ当に手に入れようとすれば、相応の創造性が必要になります。
 
創造性を発揮することで得た「自由」であれば、おそらく溺れることはないでしょう(事業を立ち上げて成功した経営者が、その後も志に基づいて仕事を続けるようなものです)。
 
 
つまり、「不自由」に真っ向から向き合い、その中で創造性を発揮することで「自由」に近づけるし、「自由」に溺れないだけの創造性が育まれるってこと。
 
 
「不自由」を楽しみましょう♪( ´ ▽ ` )ノ