「負けてあげる」最強説

本来人間は社会的な生き物で、他人を喜ばせると自分も嬉しくなっちゃう習性を持っています。
 
これは脳の機能として先天的に備わっているもの(ミラーニューロンと言います)。
 
 
それでも、なんでだか、他人を喜ばせたりとか、社会に貢献したりすることを考えると辛くなったり、「本当はそんなことしたくない」って感じちゃったりするのは、
 
自分の外側の世界に対して勝負を仕掛けているから。
 
自分の存在の意味とか価値とか能力とかを
認めさせたい、とか、
バカにされたくない、とか、
自分の存在を証明したい、などなど。 
 
 
どうしてそれをやっちゃうかっていうと、自分と世界を分離するように教育されているから。
 
「言うことを聞きなさい。でなければあなたは無意味です」
とか、
「あなたの能力を証明しなさい。でなければあなたは無価値です」
みたいなの。
 
本来、自分と外側の世界ってのは不可分で、どちらも大切なはずなのに、なんでだか条件をつけられて分離させられ、競わされてる。
 
 
そうなると、外側の世界は自分とは別物の異物で恐怖だったり、やりこめる対象になってしまったりする。
 
そりゃね、
「他人を喜ばせましょう」
「社会に貢献しましょう」
 
なんて言われたら嫌になるよ。だって異物で恐怖の対象なんだから「屈する」っていう感覚になってしまうわけ。
 
 
外側の世界にはね、負けてあげりゃ良いんだよ。
(“あげる”ってところがポイントね)
 
別にね、何も証明する必要なんかないんです。
 
 
なんか自分をジャッジしてくる相手がいたら、
 
「はいはい。あなたは凄いね。良かったね^^」
 
って褒めてあげればいい(超余裕な感じでしょ?笑)。
 
  
そもそも、意味も価値も能力も絶対的なものではありません。
 
その場その場で
意味があったりなかったり、
価値があったりなかったり、
有能だったり役立たずだったり、
 
生まれては消える泡のようなものです。なので、そもそも競いようがないってこと。
 
 
だからね、「何かを証明しよう」とか「誰かに認められる自分になろう」みたいなことはポイっちょして、
 
自分がご機嫌さんでいられることを考えればよいわけ。そしたら必然的に「他人を喜ばせたい」ってなるから。
  
 
そこに意味も価値も生まれるし、
他人を喜ばせたあなたは「有能な人」ってことになるわけです^^ 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です