依存は”悪”か?

今朝の彼女ちゃんとの会話にて。
「『依存』と『甘える』と『わがまま』の違いがわからない」という話がありました。
 
昔から言われている風潮としては
「依存は悪だ」
「人間は自立しなければならない」
 
ってのがあるけど、最近多いのは、
「他人に頼ることも大切」
「素直に甘えたりわがままを言えたりする関係が良いじゃない」
 
ってことで、
「どっちだよ?!Σ( ̄ロ ̄;)」な話なわけです^^;
 
 
ってことで、こういう場合はひとつひとつの言葉の定義を確認していきます。
 
まずは「わがまま」。
 
わがまま
【我(が)儘】
《名・ダナ》相手・まわりの者の意に反して、無理な事でも自分がしたいままにすること。したいほうだい。 「―を言う」
 
 
これだけ見ると、あんまりよろしくないことのように思えます。
「相手・まわりの者の意」に反しているわけですから「相手・まわりの者」にとってはたまったもんじゃありません。
 
 
続いて「甘える」
 
あま‐える
【甘える】
《下一自》(人の好意を期待し)慣れ親しんで人なつこくする、またわがままをする。 「親に―」
 
 
さて、この「甘える」という概念の中には「わがまま」も含まれるようです。 
ですが、この場合、一概にも「迷惑なこと」「悪いこと」とは言えないのではないでしょうか?
 
「(人の好意を期待し)」つまり親しい関係を前提とし、その上で「慣れ親しんで人なつこくする」
 
これはこれで、あまり親しくない人や好ましくない人にやられると鬱陶しいだけですが、恋人関係や親子関係など、本当に親しい間柄であれば「甘えられること」が嬉しいこともあります。
 
であれば、それらの一環として、相手が受け入れられる程度の「わがままを言う」というのも、ひとつのコミュニケーションであると言えるのではないでしょうか?
 
 
つまり、この時点で
「わがまま」や「甘える」の善し悪しは、「関係性と内容による」ということが言えます。
 
 
さて、最後は「依存」
 
いそん
【依存】
《名・ス自》他のものによりかかり、それによって成り立つこと。
 
 
これを見た時に疑問に思ったのが、
「他のものによりかからずに成り立っているもの」ってあるのか?ってこと。
 
だって、日本で生活している以上は少なくとも日本のインフラによりかかって生活しているわけだし、企業はお客さんがいなければ成り立たちません。
 
飲食店であれば、お客さんはもちろん、食材を生産してくれる農家や畜産業、漁業の関係者や、素材そのものになってくれる牛さん豚さん魚さんetc…の素材があって初めて成り立つものです。
 
って考えたら、人間に限らず全ての存在は「依存」することによって生きているということになります。
 
であれば、
「依存=悪」という図式は成り立たなくなります。
 
 
もちろん 
「依存=悪」ではなくても、「依存」の形の中に「好ましくないもの」は存在します。
 
例えば、「依存される側」にとってそれが負担であり、苦痛が生じる場合。もしくは「依存する側」が、それを続けることでリスクが生じたり、可能性が閉ざされる場合。
 
アルコール依存症や薬物依存症なんかはその典型的なもので、続けることで生命の危機があるばかりではなく、周囲に対しても様々な負担を強いることになりかねません。
 
また、「特定の一個人」に対して過度の依存をすることは、その相手にとって負担になるだけではなく、その人がいなくなった時に様々なものが崩壊してしまうリスクがあるため、あまり好ましいことではないように思えます。
 
 
ということで考えれば、
「依存」も「甘える」や「わがまま」と同様に、「善し悪しは関係性と内容によって決まる」ということが言えるのではないでしょうか?
 
「共依存」という概念がありますが、
その「共依存」を構成しているものが「アルコール依存症の旦那」と「それを世話することで自分の存在価値を確認している奥さん」のようなものであれば、良いことであるとは言えません。
 
 
しかし、ヤンデレ夫婦( http://ameblo.jp/yandereotto/ )のような場合はどうでしょう?
 
一見してエキセントリックな夫婦関係で、相互に依存し合っているとも言えますが、旦那さんは普通に仕事をしており、普通に二人の子どもを育てています。奥さんは軟禁状態ですがそれを喜んで受け入れておりますので、誰も不幸になっていません。 
 
つまり、なんの問題もなく、むしろこの関係が夫婦の幸せを作っており、しかもそれをネタに漫画を書くことで多くの人を楽しませているわけです。
 
 
つまり、
「依存」も「甘える」も「わがまま」も、それそのものが良いとか悪いとかって話ではなく、関係性とか内容によって幸せになったり不幸になる人が現れるだけってこと。
 
 
もうひとつ付け加えると、
「人間は(度が過ぎなければ)頼られるのが嬉しい生き物である」ということ。
 
人の役に立てるのが嬉しいし、それで自分の価値を確認するのが人間という生き物です。もし「全ての依存が悪である」とみんなが信じて、「極力誰にも頼らないで自分でやる」という文化が出来てしまったら、
 
「頼られる喜び」「人の役に立つ喜び」ってのが無くなってしまいます。それって寂しいことなんじゃないかなぁ、って思うわけ。
 
 
だからね、「依存」はしたら良いと思うよ。お互いが嬉しくなれる形で。いろんな人のお世話になって、それで「ありがとう」って言えばいい。
 
で、それと同時に自分も誰かを「依存」させてあげたら良いんじゃないかな?
 
 
そういうのが「豊か」ってことだと思うんだぜ♪( ´ ▽ ` )ノ

205

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です