嫌われて泣く人、笑う人

こんにちは、「超次元コーチ」サトルンです^^
 
 
僕が提案するのは
「他人の目線から自由に、自分の好きなこと、やりたいことを追求する生き方」です。
 
 
とはいえ、他人に嫌われたり、否定されて悪口を言われることは決して気分が良いものではありません。悔しさや惨(みじ)めさを感じて泣きたくなることもあるでしょう。
 
 
しかし、そんなふうに傷つき、ストレスを感じるよりも良い在り方があります。
それは、「嫌われ、否定されることを『役割』のひとつとして受け止める」ということ。
 
 
「あんなやつらのために『役割』なんか引き受けたくないよ!」
 
と思われるかも知れませんが、
“あんなやつら”に傷つけられ、憂鬱な気持ちになってしまわないための方法です。
 

 
まず、大前提としてご理解いただきたいのは、
「絶対的に正しい論理」というものはなく、逆に「絶対的に間違っている論理」というのもないということです。
 
「その人にとって嬉しい論理」というのが人の数だけあるだけです。
 
 
「論理の”確からしさ(≠正しさ)”」とは、「どれだけ多くの人をより嬉しくさせるか?」というところに求められますが、仮に大多数の人にとって嬉しい論理であっても、それに含まれない人にとっては正しくも”確からしく”もないと言えます。
 
 
ですので、あなたを否定する人がいたとして、あなたもその人も、絶対的に間違っているわけでも正しいわけでもないのです。
 
あなたもその人もどちらも正しい、とも言えます。
 
 
 
あなたがそうであるように、誰しも特別な存在でありたいと願っています。
 
特別であるということは、人とは違うこと。
オリジナリティがあったり、誰にも負けない(と自分が思える)”確からしさ”を持っていること。
 
 
それは、目の前の世界に存在する主張(テーゼ)に対して反論(アンチテーゼ)を作ることによって生み出されるのです。
 
世の中には様々な考え方や価値観があり、それに対して自分はどう思うのか?何がより”確からしい”のか?
 
否定したり、踏まえて乗り越えたりすることで、人は自分だけの独自性を獲得していくわけです(反抗期の子どもなんかまさにそれです)。
 
 
そのようにして生み出された論理は、全てに価値があります。
  
 
人にはそれぞれ役割があります。
それも、ひとつだけではなく無数に。
 
僕らはお互いに役割を果たして、お互いを存在させているのです。
 
 
あなたを嫌い、否定している人にも役割があります。
 
例えば、あなたがその人に否定されて傷ついたとして、それによって何か学びを得たとします。
 
「あんな在り方は良くない。私はもっと人に優しく生きよう」
 
そして、その在り方をすることで、誰かの心を救ったとします。
 
 
結果として、あなたを否定した人はあなたの在り方を「人に優しく」に変えるという「役割」を果たしたことになります。
 
 
あなたを嫌い、否定する人の論理や在り方を肯定する必要はありません。
 
それが間違っていると感じるのであれば、それに対する反論を作って体現してください。それがあなたのオリジナリティとなります。
 
 
しかしそれ以前に、その相手があなたにとっての「より”確からしい”在り方」を作るための「素」を提供するという「役割」を果たしてくれたことを認識してください。
 
在り方や考え方は決して良いとは思わない。
でも、その存在そのものは無数の役割を果たしている重要で価値のある存在である。
 
そして、その役割のひとつを自分に果たしてくれた。
 
 
その存在に感謝の気持ちを持てたとき、今度は自分がその相手に対して「嫌われ、否定されてあげる」という役割を提供していることにも価値を感じられるはずです。 
 
 
その人は、あなたを否定することで心の平安を得ているのかも知れないし、自分だけの価値を確認しているのかも知れない。 
 
もしかしたら、その在り方を通して他の誰かを(間接的にでも)幸せにすることに繋がるのかもしれない。
 
その人はその人で「重要で価値のある存在」なのですから、「嫌われ、否定されてあげる」という役割を担ってあげているあなたもやはり「重要で価値のある存在」なのです。
 
 
そのように認識できた時点で、あなたは他人の目線から自由になれます。
 
いくら嫌われ、否定され、たとえバカにされたとしても、それすらも重要な役割のひとつである。それを受け入れるからこそ、あなたは「自分にとって嬉しい役割」に集中することができるのです。
 
 
「嫌われてあげるわよ」
 
そんなふうに考えれば、嫌われることすら笑い事になるわけです^^
 
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