「恐怖」から「ワクワクの人生」に移行する方法

こんにちは、「超次元コーチ」サトルンです^^
 
 
僕があなたに提案するのは「恐怖から自由な生き方」です。
 
 
それはつまり、恐怖を基準に生きないということ。じゃあ、「恐怖を基準に生きる」とはどういうことなのか?
 
自分が感じる恐怖を「物理的な現実」を変えることで克服しようとすることです。
 
 
お金がなくなるのが怖い。だからお金を稼ぐ。
愛されないのが怖い。だから愛してくれる人を探す。
必要とされなくなるのが怖い。だから有能であろうとする。
 
 
しかしながら、「物理的な現実」を変えたところで恐怖は消えません。
 
お金を稼げるようになっても稼げなくなることに恐怖し、
愛されるようになっても、愛を失うことに恐怖し、
必要とされても、より有能な人が現れて必要とされなくなることに恐怖する。
 
 
結果として、
「もっと欲しい。もっと」
 
という堂々巡りを繰り返すことになります。
 
 
 
では、恐怖の代わりに何を基準にすれば良いのか?
 
それは「愛」です。
 
自分自身への愛。
他人への愛。
目の前の世界への愛。
 
「愛」とは興味を持つこと。
そして、喜ばせたり、楽しませたり、気持ち良くさせること。
  
 
僕らの根源は「愛」です。
それはどんな悪党も変わりはありません。愛の対象が限定されているだけで。
 
 
そして、「愛」に恐怖は関係ありません。
恐怖の中にも喜びがありますが、それは「愛の喜び」とは関係ないのです。
 
 
恐怖は「愛」が捻じ曲がった結果であり、対(つい)ではなく下位の概念であると言えます。だから、素直に「愛」に近づくほどに、僕らは嬉しくなれるのです(そして下位の概念が必要なくなります)。
 
 
だから、
恐怖ではなく、愛を基準に生きること、
恐怖から自由な生き方をすることを提案するわけです。
 
 
 
とはいえ。
「愛を基準に生きるぜ!」ってことを考えた時に悩ましいのが、
「何が愛で、何が恐怖なのか?」ということ。
 
 
例えば、
「誰かを深く愛したい!」ってことを考えたとき、それが「愛されないことの恐怖」に根ざしたものであれば恐怖基準ですし、
 
「世の中に貢献したい!」ってことを考えたとき、それが無価値感に根ざしたものであればやっぱり恐怖基準であると言えます。
 
 
やることは同じでも、動機次第で得られるものはガラっと変わるわけです。
 
 
 
ぜひ試してみて欲しいのが、
「それを止めることを考えたとき、恐怖を感じるかどうか?」
 
ということです。
(嫌悪感や痛み、辛さではなく純粋な「恐怖」であるのがポイントです)
 
 
それで、「恐怖」を感じる選択肢こそが「愛基準」のものです。
 
 
例えば、 
「今の仕事を辞めて何か新しいことをやるぜ!」っていうのを考えたとき、
 
「仕事を辞めること」に恐怖を感じるのか、
「今の仕事を辞めて何か新しいことをやるぜ!」を止めることに恐怖を感じるか、ということです。
 
 
前者であれば、心がチャレンジすることを求めている、つまり「愛基準」です。
後者であれば、自分の根っこにある問題を「新しいことをやる」で埋めようとする「恐怖基準」です(言ってみれば逃避です)。
 
 
おそらく、後者のモチベーションで何か行動を起こしたとしても、「ワクワクとした気持ち」で続けていくことは難しいでしょう(常に恐怖に追われ続けることになるからです)。
 
それで結果を出そうとすれば「努力と根性」の世界の住人にならざるを得ません。
 

ちなみに、止めることに対して恐怖を感じるのは、それが恐怖から逃げるための手段だからです。やらなければ恐怖と向き合わなければならなくなるので、だからこそ恐怖を感じるのです。
 

そして、
「やることを考えた時に恐怖を感じること」っていうのも、大体は「愛基準」です。
 
 
まず、恐怖を感じるということは、選択肢として存在しているということが言えます。
 
例えば、
「二度と呼吸をしないでください」なんて言われても、恐怖を感じる以前に「嫌だよ」って言って一撃終了なわけです。そもそも選択肢として存在しないのですから。
 
 
仮に、僕が
「明日からヒマラヤ登山してください」
 
って言われたら、若干ビビります。
なぜなら、僕自身が山が好きで、憧れがあるからです。
 
これが登山の趣味がない人であれば
「嫌です」で一撃終了になるでしょう。
 
 
つまり、そもそも選択肢として存在していないことには恐怖の感情を感じる余地もないし、恐怖を伴いつつ選択肢として存在しているということは、愛基準(=恐怖とは無関係)の願望がそこにはある、ということが言えます。
  
 
更に言えば、自分をより嬉しくするための「愛基準の行動」っていうのは、多くの場合恐怖を伴います。
 
 
「より嬉しくなる」ということは、現状を変えるということです。つまり、今までにやってない行動をするということ。それは多くの場合「自己保身(現状維持)」へと向かう恐怖とバッティングします。
 
 
それで、多くの人がここで混乱するわけです。
 
「やりたいこと(=愛)」
「向き合いたくないこと(=恐怖)」
「(恐怖から逃げるために)やらなきゃいけないこと」
「(やらなきゃいけないことからの逃避としての)やりたいこと」
 
そういうのがゴッチャになって、一番後回しにされがちなのが「やりたいこと(=愛)」だったりします。
 
なぜなら「愛基準の行動」っていうのは基本的に「恐怖の解決」とは直接的には結びつかないからです(「愛は恐怖と関係がない」のです)。
 
 
結果として「やりたいこと(=愛)」が忘れ去られ(コーチング用語では「スコトーマ」になり)、
 
「向き合いたくないこと(=恐怖)」
「(恐怖から逃げるために)やらなきゃいけないこと」
「(やらなきゃいけないことからの逃避としての)やりたいこと」
 
だけが残る。
あとは堂々巡りを繰り返すのみです。
  
 
本当は別でやりたいことがあるんだけど、
惨(みじ)めになるのが怖いからお金を稼がなきゃいけない。
でもお金を稼ぐことも辛いから酒に走る、 
 
結果として酒浸り。
そういえば、私って何がやりたかったんだっけ?
 
みたいな話(笑)
(別に酒が悪い、っていう話ではないです)
 
 
 
もし、あなたが今、
「自分は本当は何がしたいんだろう?(どうしたいんだろう?)」
 
ということで悩んでいるのであれば、自分自身の恐怖と向き合ってみることをお勧めします。
 
まずは、自分自身が今やっていること、やろうとしていることをリストアップして、それを止めることを考えてみる。
 
考えたときに恐怖の感情が湧くものは、「愛基準」で言えば止めるべきものです。
 
 
そして、「やろうとしていること」の中で、やることに対して恐怖を感じるもの。
それこそが「愛」に向かう行動です。
 
 
それは、誰かが褒めてくれるようなものではないかも知れません。
リスクを伴うことかも知れません。
 
しかし、それこそがあなたを「愛」へと近づける行動であると言えます。
 
 
 
「恐怖を感じる方向に向かうことこそが、あなたを恐怖から解き放ちます」というお話でした^^
 
 
 
一個補足すると、
くれぐれも「恐怖を感じる」と「心が辛くなるような気持ち」を混同しないでくださいね。
 
「やりたい(=愛)」が含まれているのが前者で
「(恐怖から逃げるために)やらなきゃいけない」に基づいているのが後者です。

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