「妖怪」という概念そのものが妖怪である

最近、「妖怪研究」を趣味にした僕ですが、
その道の大先輩であると言える京極夏彦氏の著書の中で、 
 
「妖怪学だの妖怪研究なんてことは軽々に言えることではないよ」
 
という言葉がありました。
というのは、何かを学術的に取り扱うということは、客観的な共通認識を作っていくことであるわけですが、
 
そもそも論として、「妖怪」という概念そのものが定義できないわけです。
 
 
「妖怪」という言葉を使った時に、まず思い浮かべるのは架空の存在でしょうか。
 
例えば水木しげるの漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の砂かけ婆や塗り壁。
もしくは最近のちびっこであれば妖怪ウォッチの方を想像するでしょう。
 
 
で、同じ「架空の存在」ってことで考えても、「ゲゲゲの鬼太郎」と「妖怪ウォッチ」ではかなり解釈が異なっているように思えます。
 
 
また、荒俣宏氏曰く、
「妖怪とは元々は”気配”のこと。気配が化けて姿を表したのが”お化け”である」とのこと。
 
 
であれば、僕らが夜の闇に感じる”何かの気配”そのものが妖怪であるとも言えますが、それを「妖怪」だと定義してしまうと、今度は「ゲゲゲの鬼太郎」や「妖怪ウォッチ」に出てくるものが妖怪ではなくなってしまう。
 
 
また、京極夏彦氏の小説の中では
「妖怪とは、説明不能な事象に対する説明機能である」という定義が語られていたわけですが、
 
それもさもありなん。
例えば山彦や不知火現象なんかは今では自然現象として説明できるものの、昔はそういった説明ができなかったため「妖怪」というラベリングをすることで無理やり説明してきたと言えます。
 
で、これはこれで、先に述べた2つの「妖怪」の定義とは異なるわけです。
 
 
つまり、「妖怪」っていう概念は、それが語られている文脈によってコロコロと意味合いが変わり、人によって持っているイメージもバラバラで、なんとも捉えどころがなく、 
 
「で、結局妖怪ってなんなの?」
 
っていう質問に対して、誰もが納得出来る説明を誰もすることができない訳のわからないものであり、
 
それなのに誰もが知っていて、
例えば
「あの人って妖怪みたいな人だよね」とか
「わかりやすく言えば妖怪みたいなものです」
 
みたいなことを言われた時に、誰でもなんとなく意味を理解できてしまう。
 
  
ってことで、「妖怪を研究するぜ!」ってことを考えたときに、そもそも「妖怪」という概念そのものが妖怪じみており、その時点でなんとも面白いわけです^^
 
(誰もが知っているのに、誰もその正体を知らないのが「妖怪」です)

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