人生は無意味だ。だからこそ素晴らしい!

「無駄なこと」はねぇ、いっぱいやったら良いと思うよ^^
だって、人生そのものが本来は「無駄なこと」なのだから。
 
 
なんていうと、中二病っぽい虚無主義なセリフっぽいですけど(苦笑)そうではなくて。
 
まず理解するべきは、この世に「絶対的な価値」っていうのは存在しないってこと。すべての価値は関係性によって生じている泡のように儚いものであるってこと。
 
(お金は人間がいるから価値があり、日本円は「日本国の通貨」をみんなが(それなりには)信頼しているから価値がある)。
 
 
つまるところ、人間の一生に意味なんかありません。
もちろん、関係性の中に仮想的には存在しています。
 
関わる人たちの心の中に何か大切なものを残したり、社会に貢献をしたり…。
 
でも、他人も社会も世界も、それそのものに「絶対的な価値」があるわけじゃないんです。
 
極論言ってしまえば、明日地球が爆発しようが、誰も困らないわけです(困る人が全員いなくなるから)
 
 
んで、まあここまで語ると
「やっぱり中二病っぽい虚無主義の話?」
 
ってなるわけだけど、だからそうじゃなくて、めちゃめちゃポジティブな話をしようとしてます^^;
 
 
まず、ここまでの話を受け入れたとして、
「すべてのことに意味はないんだ!だから、人生に意味はないんだ!」
 
とか悲観する必要は全然ないってこと。
 
 
だって、子どもってTVゲームを何時間でも延々とやり続けたりするでしょ?意味はなくても。
 
「意味があるからやる」
ではなくて、
「単純に楽しいからやる」
 
それで良いわけです。
 
 
つまるところ、我々が幸せになること、幸せであることに意味なんかありません。
 
でも、いいじゃないですか。
意味はなくても幸せであれば。
 
 
そして、
「意味はないけど幸せ」に向かうのが我々の人生であり、世の中にある全ての「意味のありそうなこと」は「意味はないけど幸せ」に向かう手段であると言えます。
 
 
物を作って売る。
人を教育する。
エンターテイメントで人を楽しませる。
  
 
あくまでも「意味はなくても幸せ」に向かうための「意味」であるということです。
 
 
で、それで全然オッケーってこと。
「意味はなくても幸せ」に向かう手段なのだから、極論言ってしまえばそれも無意味なんだけど、「幸せ」に向かっているわけだから、やっぱりそれは幸せなことなのです。
 
 
なので、「誰かのために何かをやる」っていうのも意味なんかないのですが、誰かの「意味はないけど幸せ」を作るのって嬉しいじゃないですか?
 
それが自分自身の「意味はないけど幸せ」になるわけで、なんの問題もないわけです。
 
 
んで、これらのことを通して何が言いたいか?っていうと、
「意味に執着すると、人生つまらなくなるよ」って話。
 
 
なんかさぁ、勘違いしている人が多いっていうか、本末転倒しちゃってるのが、
 
本来「意味はなくても幸せ」を作るための手段として「意味がありそうなこと」に対して、絶対的な価値があるものと思っちゃってること。
 
 
「人の役に立つことが絶対的に正しいことだ」みたいな前提があり、
 
その上で
「そのために意味のある人生にしなければならない」っていう前提を作り、
 
「意味のある人生とは○○だ」みたいな定義付けをして、
 
定義が常識となり、自分で考えるでもなく鵜呑みにする人が続出して、それで自分や他人を裁いたりして一喜一憂している。
 
ありもしない「絶対的な意味・価値」の奴隷になってしまっているってこと。
 
 
アホかと。
まず、そもそも人生に意味なんかないし、意味はなくても楽しいのが人生だっつーの。
 
 
で、結局はみんな
「意味はないけど幸せ」を求めているわけだから、そこに直結したものを提供した方が喜ばれるし、結局は本来の意味での「意味・価値」が生まれるわけです。
 
でも、そこで「絶対的な意味・価値」とか「機能性」を優先してしまうと、「意味はないけど幸せ」が見えなくなり、人生がわけわかんないことになってしまう。
 
「人生は努力と根性!」
「苦痛に耐えることこそが人間の誉れ!」
 
 
まあ、そういうのが楽しいんなら構わないんですけれども^^;
 
 
 
だからね、無駄なこと、余計なこと、いっぱいやったら良いんですよ。もちろん自分が嬉しいことが大前提ですけど。
 
そしたら、結果として他人に「意味はないけど幸せ」を提供する方法も見つかるんで。それっていうのは多くの人が欲しがっている「意味・価値」になるんじゃないかな?^^

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