自分を責めるよりも、受け入れている”前提”を疑う

Facebookを見ていると、いろんな人がいろんな考え方を発信しています。
 
「あれが正しい」
「いや、これが正しい」
 
 
で、人によって真逆のことを言ってたりして、
それで読む側としても
「あれが正しいんじゃないか」
「いや、こっちかな?」
 
って右往左往したりして、結局混乱して葛藤したりなんかして(笑)
 
 
まあ、別にどの考え方を採用しても良いと思います。
ただし「それで自分が幸せになっているのであれば」
 
 
 
まず、ひとつ理解するべきなのは
「”絶対的に正しい論理”というものは存在しない」ってこと。
 
これは宇宙の法則なので、それは大前提としてください。
 
 
僕自身も「考え方」を発信する一人ですが、自分の論説が”絶対的に”正しいなんて思ってはいません。
 
ただ、様々な本を読み、様々な論説に触れて、自分自身で仮説を立て、検証をしていく中で、少なくとも自分にとって
 
「最も確からしい仮説」
 
を立てているに過ぎません。
(もちろん「他の誰よりも確からしい」という、相応の自信を持って発信しているわけですが)
 
 
なので、(僕の発信も含めて)誰かの論説を鵜呑みにすることはしないでください。それがどれだけ権威がある人であっても(好ましく思っている人であっても)。
 
 
その人が過去に実績を出している権威であることや
あなたがその人に対して好感を持っていること。
 
それらと、
その人の考え方があなたを幸せにするかどうかは全く別の話です。
 
 
また、仮にその人の言ってることは実際はあなたにとって必要なことであったとしても、それをあなたが正しく(必要な形で)理解できているとは限りません。
 
 
仮に”絶対的に正しい論説”というのが存在したとして(存在し得ないんですけど)、それを受け取る我々の認知機能そのものが不完全なわけですから、それを”絶対的に正しい論説”として受け取ることは不可能なのです。
 
 
つまり、「鵜呑みにして良い論説」なんてのは何一つ存在しないってこと。
 
 
なので、いろんな人の発信を読んでお勉強するのは良いのですが、「その考え方は自分にどのように機能しているのか?」ということを自分で検証してください。
 
 
例えば、
「人生は行動だ!行動あるのみ!」
 
っていう考え方を受け入れたとして、
 
それによって実際に行動できているのか?
無理に行動することによって息切れして辛くなっていないか?
行動できない自分を責めて動けなくなっていないか?
 
 
 
「人生はありのままのそのままでOK」
 
っていう考え方を受け入れたとして、
 
それで本当に幸せになれているのか?
ただただ”嫌な現状”に縛り付けられているだけになっていないか?
物足りなさを感じてはいないか?
 
 
 
何か物事が上手くいっていないのであれば、自分が前提として受け入れている論説を疑う必要があります。
 
 
んで、僕の論説としては、
「その考え方を受け入れることで辛くなってるのなら、それは何か間違ってるよ」ってこと。
 
 
それっていうのは、コーチングで言うところの「~ねばならない思考」を受け入れてるってことだから。
 
パフォーマンスもセルフイメージもだだ下がりになります。
(奴隷としてのセルフイメージは上がるかも知れんけど)
 
 
 
「今は辛くても、この考え方は正しいはずだから、信じ続けていればいつか幸せになれるはず!」
 
いや、今幸せでないなら、その考え方を持ち続けている限り「幸せ」にはなれないよ。だって、自分の感覚が悲鳴をあげているわけだから。
 
感覚が麻痺してぶっ潰れるまで続けることで、アタマだけで考えた「ああなったら幸せ」「こうなったら幸せ」っていう現実は作れるかも知れないけど。
 
それがお好みならどうぞ、なんだけど、僕はそういうのは「幸せ」とは思わないのね(あなたはどう思います?)
 

 
いずれにしても、人間は極論言えば幸せであれば良いのだから、「自分を幸せにしない考え方」は誰が言ったものであれスルーして、今すぐ「わくわくHappy♪」になれる考え方を採用したり発明したら良いんじゃないでしょうか?^^
 
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