「犬型」として生きるか。「猫型」として生きるか。

こんにちは、「超次元コーチ」サトルンです^^ 
 
 
人間の生き方は、極論言ってしまえば二通りしかありません。
 
「犬型」と「猫型」です。
 
 
少なくとも日本であれば、大多数を占めるのは「犬型」の生き方をしている人たちです。
 
 
「犬型」の生き方とは、何か「絶対的に正しいこと」があることを前提としているものです。
 
 
ですので、「犬型」の世界には”権威”が存在しています。その正しさを体現している”権威”の存在が。
 
もしくは、自分が”権威”になることを望む人もいるでしょう。
 
 
いずれにしても言えることは、
「縦の関係」が基準であるということです。
 
 
明確な縦の関係ではなくても、
「正しいこと」と「間違っていること」が基準となっており、間違っている人は裁かれなければいけません。
 
それが自分自身であったとしても。
 
 
そして「正しいかどうか?」が基準ですので、”やりたくないこと”でもやらなければいけません。それが正しいことであれば。
 
基本的に「犬型」の人たちが好むのは「努力」と「根性」です。
 
 
「努力」と「根性」で苦痛に耐えて何かをやりぬくことが美しさであり、他人にもそれを求めます。
 
そして、「努力」と「根性」が出来ない人は「間違っていて劣っている存在」として扱われます。
 
 
 
「犬型」の生き方の良いところは、何か失敗をしても他人のせいにできることです。
 
なぜなら、自分は「正しさ」に従っていただけなのですから。自分は何も悪くない。自分が信じていた「正しさ」が間違っていただけなのだから。
 
もちろん、結果としての損失は自分が引き受けることになるわけですが、気持ちの上では自分は責任を負う必要はないわけです。
 
つまり、人や社会を恨んで生きるという”楽”な生き方が出来ると言えます。
 
 
もうひとつの利点は「孤独ではない」というところです。
 
同じ「正しさ」を信じている者同士は味方になれますし、その「正しさ」から外れている人をみんなで糾弾することができます。
 
「犬型」で生きている限り、「正しさ」の中で生きている限り、孤独になることはないでしょう。 
 
 
それだけではなく、「努力」と「根性」を続けて結果を出せば、それを持って他の人たちの「上の存在」として君臨することができるかも知れません。
 
もちろん、そうなったとしても常に「転落する可能性」がつきまとうので心休まることはないでしょうが、その時々で承認欲求を満たせるので、そういうのが好きなのであれば悪い生き方ではないと言えます。
 
 
 

対して「猫型」の生き方とは「絶対的な正しさ」も”権威”も信用も必要としません。
 
言っていることは聞いたりもします。
もしかしたら、自分にとって有益なものが含まれている可能性があるからです。
 
 
しかし、基本的に盲信はしませんし、
「これが正しい」と言われても、感覚的に嬉しくないものは受け入れません。
 
 
基本的に
“嫌なこと”に対しては”嫌”と言うのが「猫型」の生き方です。
 
それがどれだけの”権威”が言ってることであっても、多くの人が信じていることであってもです。
 
 
常識的に考えて、
「それって人としてどうなの?」的なことであったとしても、嫌だったら逃げます。
 
 
そして、”やりたいこと”しかやりません。
 
だから、結果に対して誰のせいにすることも出来ませんし、どんな結果になったとしても誰も恨むことはできません。
 
最初から「全ては自己責任である」という前提で生きるのが「猫型」です。
 
 
 
そして、どれだけ仲間が出来たとしても、本質的に孤独なのが「猫型」です。
 
「仲間が信じていること」よりも「自分がやりたいこと」を優先しますので、いつでも別離の可能性はありますし、感覚を優先するからこそ誰にも理解されない部分が必ずできます。
 
 
そして、「猫型」は本質的に人の上に立つことはありません。
 
「正しさ」に基づいていないからです。
そして、そもそも「人の上に立ちたい」とすら思いません。面倒だからです。
 
 
自分が選んだ「役割」として、便宜的に一時的に「その場として」人をまとめることはあるでしょうが、本質的には「他人の自由」と「自己責任」を認めるのが「猫型」の生き方です。
 
 
もし「猫型」の人間が人の上に立ち、人を支配する立場になることを望んだのであれば、その時点で「犬型」にシフトチェンジしたということです。
 
 
 
 
この「犬型」と「猫型」の生き方は、ミックスすることはできません。
 
それぞれのタイプが作ったコンテンツを適宜利用することはできます。
 
「犬型」が作った仕組みを「猫型」が利用する。
「猫型」がナチュラルにやったことを、「犬型」が再現しようとする。
 
 
それはそれで、役に立つことはあるでしょう。
 
 
しかし、本質的な部分では混ざることはありません。
 
「正しさ」を根っこにするのか。
「感覚」を根っこにするのか。
 
「支配」を選ぶのか。
「自由」を選ぶのか。
 
「幸せな量産品」となるのか、
「孤高の一点物」となるのか。
 
 
 
僕が個人的にお勧めしたいのは「猫型」の生き方ですが、結局はお好みの話ですので、どちらを選んでも良いと思います。
 
 
大切なのは自分の意思で選ぶこと。
それに対して責任を持つこと。ブレないことです。
 
 
「犬型」の生き方を選ぶのであれば、甘いことを言ってはいけません。「努力」と「根性」です。あなたが信じる「正しさ」を体現するのに生涯を費やしてください。
 
 
「猫型」でありたいのであれば、孤独になることを恐れてはいけません。感覚を優先することでそれまでの人間関係が崩れるかも知れないし、「安定」から遠のくこともあるでしょう。それで何が起こっても自己責任ですので、覚悟を決めてください。
 
 
そして、人の話を受け入れる時、その相手が「犬型」なのか「猫型」なのかを考えましょう。
 
「犬型」で生きるのであれば「猫型」の考え方は道に迷うだけです。
「猫型」で生きるのであれば「犬型」の考え方は一番大切な「感覚」から遠ざかるだけです。
 
また、自分は「猫型」として生きながらも、他人に対しては(意図してかしないでか)「犬型」を求める人がいることにも注意が必要です。 
 
 
(違うタイプの言葉には全てに耳を塞げ、という話ではなく、違いを踏まえた上で必要なことは取り入れたら良いと思います)
 
 
いずれにしても、どっちつかずが最も辛い生き方であると言えるでしょう。
 
 
「犬型」と「猫型」
あなたはどちらの生き方を選びますか?

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