「理解」も「共感」も必要ない。ただ「違い」を認めればいい

最近つくづく思うのは、
「『理解』も『共感』もする必要はないな」
 
ってこと。
 
 
だって、そもそも人の事なんでようわからんし(笑)
 
 
別に「相手を知ろうとすること」の一切を放棄しろって話ではなくて、
 
その人と付き合っていくのであれば、相手が何に喜び、何に怒るのか、みたいなことは理解した方が良いけど、
 
それってあくまでも「仮説」に過ぎないから。
 
 
なので、僕の話をすれば、
別に彼女ちゃんに対して「理解」も「共感」をしているわけではなく、
 
それなりに精度の高い(少なくとも大きなトラブルにならない程度の)「仮説」を立てられているってことに過ぎないわけ。
 
(もちろん、その「仮説」は常にアップデートを続けることが大前提です)
 
 
ってか、そもそも理解不能なところいっぱいあるし(笑)
 
 
例えば、うちの彼女ちゃん、独特なセンスの持ち主です。 
彼女が大好きで、「そのうち絶対飼うんだからね!」と言っているのは、
 
スキニーギニアピッグ
https://contents.gunosy.com/5/22/966930ac61702adeb96c524afadd17b4_content.jpg
 
 
彼女ちゃん「きゃああああああああ!可愛いいいいいいいいい!」
 
 
いや、普通におっさんっぽいじゃないですかΣ( ̄ロ ̄;)
 
 
というふうに、僕にとっては全く理解できないわけだけど、別に問題はないわけです。
 
「うちの彼女ちゃんは面白いなぁ( ̄▽  ̄)」
 
と。
 
 
むしろ、そういう理解できないところ、自分とは違うところが面白いし、愛らしいとも言えるわけです。
 
 
だから、大切なのは
 
「自分とは違う存在であることを認める(肯定する)」
 
ってことであり、
 
 
その違いを楽しめば良いんじゃないかって思うよ。
 
 
 
もちろん、
「みんな違ってみんな良い!だからみんなを愛しましょう!」
 
ではなくって、
 
その違いが不愉快であれば「こいつ嫌い」で良いわけです。
 
でも、別に法に触れることをやっていないのであれば「だからこいつは悪い奴」ってジャッジする必要はなくって、
 
「自分とは違う存在で、自分はこいつが大嫌い」
 
ってことを認めれば良いだけの話であると言えます。
 
 
なんかさー、
「同じであることが素晴らしい」みたいな風潮ってあるよね。
 
むしろ、
「同じでなければならない」とか。
 
っていうのは、背景として、
「絶対的に正しい善悪の基準がある」
 
っていうのが前提になってると思うんだけど。
 
 
それ、嘘だから。
 
「同じでなければならない」って思っていれば、そりゃ差別も生まれるし、他人のことも裁くわいな。
 
 
違ってて良いし、
理解も共感もしなくて良いし、
 
ただ、その違いを愛でれば良いってのが僕の考え方です^^
(それで彼女ちゃんとの関係も成り立っております)

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