根拠のない幸せが本当の幸せ

少し前に悟ったこと。
 
あらゆる生命現象の背後にあるものは「真っ白な画用紙」みたいなもので、そこには「何にもなくて全てがある」。
 
んで、この「何にもなくて全てがある」の状態こそが本来は「一番嬉しくて一番嬉しい状態」なんだけど、
 
人それぞれ、その真っ白な画用紙にエンピツで迷路を描いて(生まれた時点で、その座標軸に応じてあらかじめ書き込まれていたりもする)、その迷路を楽しんでいる。
 
 
行き止まりに当たったり、道が開けたり、っていうのでその場その場で一喜一憂して、それこそが「人生の喜び」だと考える。
 
 
人によって、迷路の複雑さ度合いは違うし、描かれている線の濃さも違う。複雑に複雑に描き、「絶対に消せない」って思えるぐらいに濃く描くほどに、人生はややこしくなる代わりに、「あれも欲しい、これも欲しい」とバリエーションが増えていく。
 
 
でも本当はシンプルにシンプルに、真っさらな状態に近づけば近づくほど、得られる幸福感は大きかったりする。
 
 
それはうまい棒を限界を超えて食べることは、上質な料理を程よく食べる満足感には敵わないことに似ている。
 
量は質に転化しないってこと。
 
 
ただ、別に複雑な迷路の中でうまい棒を食べることが悪いことだとは言わない。そういう楽しみ方もある。
 
 
大切なのは、生き方を自分で選ぶこと。
 
迷路を複雑にしていくのか、消しゴムをかけてシンプルにしていくのか。
 
 
僕は基本的に後者の生き方が好きだけど、前者の楽しみ方も理解はできる(今更やろうとは思わないだけで)。
 
 
例えを変えると、
「真っさらな状態」っていうのは上質な天然素材の食材みたいなもので、あれこれ調理するよりも塩ぶっかけるだけどか、そのまま食べるのが一番美味しいんだけど、バリエーションはない。
 
 
「迷路を複雑に描きたしていく」っていうのは、上質な天然素材に様々な化学調味料をぶっかけていくようなもので、味そのものは「そのまんま」に敵わないんだけど、バリエーションは楽しめる。
 
 
結局は「お好み」の話になる。
 
 
まあ、「迷路がボールペンで書かれていると信じ込んでいて、複雑な迷路を攻略しながらうまい棒を食べることが絶対である」って思っている人には、そもそも「真っさらな状態の良さ」ってのは理解できないわけだけど。
  
 
逆に、本来は「真っさらな画用紙」で、「迷路の線はエンピツで描かれている」ってのが腑に落ちると、今度は自分で好きな迷路を描けるので、「真っさらな状態の喜び」も「迷路を解く楽しみ」も両方味わえるので、そういう生き方が良いんじゃないかなぁ、と思います^^

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