努力することに意味があるんじゃない。幸せであることに意味があるんだ。

こんにちは、「超次元コーチ」サトルンです^^
 
 
ここ数ヶ月、ちょいちょい彼女ちゃんネタを投稿してまして、そのたびに従姉妹ちゃんから「も~サトルちゃんてば、ま~た惚気ちゃって♡」なんて茶々を入れられてたりしますが(笑)
 
「惚気る」って言葉の意味を調べてみると、
 
のろ‐ける
【惚気る】
《下一自》ほれている相手と自分との関係を、いい気になって他人に話す。 

 
ということだそうで、
言ってみれば
「俺ってば彼女ちゃんとこんなにラブラブだぜ~いいだろ~(天狗)」ってのが「惚気る」っていう言葉のニュアンスなのだとすれば、
 
 
僕のは「惚気る」ってのとはちょっと違う、ってことは言っておきたい。
 
この手の発信にもちゃんと意味とか目的があるんだけど、
 
まず、別に「いい気」になっているわけじゃなくって、単純にそれが自分にとってのコンフォートゾーンってだけってことがひとつ。
 
コンフォートゾーン。
つまり、自分にとっての「居心地が良いゾーン」。存在の基準となる在り方。
 
 
人が発信する内容ってのは、結局その人のコンフォートゾーンが反映されます。
 
だから、不幸な人は自分の不幸話を延々とするし、幸せな人は自分の幸せなエピソードを語るわけです。
 
(だからね、自分がSNSで発信した内容とか、友達に対するメールの内容を読み返してみて欲しいんですけど、そこには必ず、あなたのコンフォートゾーンが描かれているはずです)
 
 
そして、僕は「嬉しく楽しく幸せであること」がコンフォートゾーンなので、自然とそういう話をするし、他人のそういう話を聞くのも大好きです。
 
 
だから、「いい気」になってるんじゃなくて、それが僕にとって普通であるってだけの話です。

んで、更に言えば僕は「彼女ちゃんがいるから嬉しく楽しく幸せである」ってわけじゃないってことも付け加えておきたい。
 
確かに彼女ちゃんがいれば「嬉しく楽しく幸せを感じる時間」は増えるけど、幸福感で言えばパートナーがいようがいまいが変わらないのね。
 
 
存在していることがただ単純に嬉しいわけで(もしかしたら存在してなくても幸せなのかも知れないけど)、その上に仮想的に「嬉しい楽しい幸せ」だったり、そうじゃない出来事があるってだけの話で。
 
 
ただ、その辺の話をしてもどうも理解されることが少なく、
「別に彼女とかいなくても幸せだもんね~♪(´ε` )」
 
とか言うと、なんか痛々しく思われていたたまれなくなるので(笑)
 
 
そういう時は「僕は幸せですよ」って発信がしにくく、彼女ちゃんがいる今は「他人から理解されやすい幸せ」なので、自然とそういう発信がし易くなっているってだけの話です。
 
 
んで、もう一個の意図としては、
「みんな、そういうのをコンフォートゾーンにしようぜ!」っていうメッセージでもあります。
 
 
僕はね、大声で言いたいの。
「幸せであることってOKなんだぜ!」って。 
 
 
なんかさー、日本の常識ってか風潮を観察すると、
「苦痛に耐えるのが素晴らしい」
 
みたいな文化があったりするわけじゃん。
 
 
ひと昔まえであれば、
「会社(社会)に対する滅私奉公が素晴らしい」
 
みたいなのは当たり前だったし、
 
 
最近はそれを強要する風潮は減ってきてるのかも知れないけど、
でも、
「誰かのために自分を犠牲にするのは美しい」
 
みたいなのはあったりするわけじゃないですか。
 
 
「家族のために数十年、艱難辛苦に耐えて働き続けて来ました」
 
みたいなお父さんが素晴らしい、人とはそうあるべきだ、みたいなのってまだまだ残っているわけですよね。
 
 
あと、
「努力することが美しい」
「苦痛と恐怖に耐えて何かを成し遂げるのが素晴らしい」
 
みたいなの。
 
 
そういう文化をね、僕は変えたいの。
 
なんかさー、そういうのって間違ってない?
 
 
人間は「嬉しく楽しく幸せに」なるために生きているわけじゃないですか。
 
なのになんで
「辛く苦しく恐ろしくあること」が正しいって思われてんの?
 
 
それは
「『みんなが嬉しく楽しく幸せ』なんて自分勝手な在り方をしていたら社会が成り立たない」
 
って論理なのかもしれないけど、大間違いだと思うぜ?
 
 
「嬉しく楽しく幸せ」であることと自己中は関係ないからね。
 
むしろ、
「嬉しく楽しく幸せ」であるからこそ、「他人のために何かをしてあげたい」って余裕が生まれるわkで。
 
 
でも、これまでの社会はそうは思って来られなかったようで。
 
「人間は努力して、苦痛に向かい、艱難辛苦と恐怖に向かっていくのが正しい」
 
 
ていう考え方が主流で、それをやっている人間は持て囃されてきた。
 
 
そして、
「幸せになるためには条件が必要」
 
って思い込まされてきた。
 
 
年収がいくら以上で、
条件の良いパートナーがいて、
どこそこに住んでいて、
こんな人間関係があって…
 
 
関係ないから。
別に何もなくても、幸せにはなれるから。
 
 
むしろ、幸せであるからこそパフォーマンスが上がって、金でもパートナーでも手に入れられるわけで。
 
 
全く順番が逆なんだよ。
 
 
仮にね、僕が
「彼女がいなければ幸せじゃありません」って人間だったら、彼女ちゃんとは付き合えてないからね。
 
「彼女がいようがいまいが、俺は幸せだぜ!」って本気で感じているから、最高に嬉しい彼女ちゃんが現れたわけで。
 
 
だからさ、僕は言いたいわけ。
「嬉しく楽しく幸せ♪」を選ぼうよ。
 
「辛く苦しく恐ろしくあること」
ではなく。
 
 
んで、
幸せに変な条件をつけないで、今この場で幸せを選択しようぜ!
 
 
「嬉しく楽しく幸せ♪」をコンフォートゾーンにしようよ。
 
そしたら、
「辛く苦しく恐ろしくあること」を選択している人が
「努力と根性と勇気」を振り絞って「頑張って」手にいれるようなことがあっさり出来ちゃったりするから。
 
 
僕は、自分が「嬉しく楽しく幸せ♪」であることを肯定するし、あなたもそうであることを肯定します。

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