僕はあなたに「ゴミのように生きること」も許可します

こんにちは、「超次元コーチ」サトルンです^^
 
 
最近つくづく思うのは
「人生ってとことん自由だよなぁ」ってこと。
 
 
あの、最近一覧の投稿の中で語っている
「クリアリング・メソッド(仮称)」を
やりまくった結果でもあるんですけど、
自分の中にある「他人からの影響」を
消しまくっていったら、
今まで以上に心が自由になっちゃって。
 
なんつーか、
「俺は自由だ!」って感じ^^
 
 
いや、でも本当にそうなんですよ。
「人生は自由である」
 
みんな口々に「自由になりたい」って言ってるけど、
本当はね、最初から自由なんですよ。
「しなきゃいけないこと」なんて何一つない。
 
 
強いて挙げるとすれば、
「人生の最後に死を経験すること」だけです。
 
  
 
「いや、そうは言うけどさ、
 生きていくためには働かなきゃいけないわけでしょ?」
 
って思うかも知れないけど、であれば、
僕はあなたにこのように問いかけたい。
「あなたは生きて『いかなければならない』から
 生きているんですか?」
 
違うでしょ?
「生きて『いたい』から、生きている」んじゃないんですか?
 
 
その上で、そのための手段として「働く」
という選択肢を選んだのは誰ですか?
 
 
もしかしたら、働かなくても
生きていけるかも知れないですよ?
 
状況によっては生活保護を受けられるかも知れないし、
誰か養ってくれる人を見つけて寄生することも
出来るかも知れません。

今のご時世、ホームレスになっても炊き出しとかが
あるので生きていくことは不可能ではありません。
 
まあ、嫌ですよね?
 
 
本当は様々な選択肢があるなかで、
あなたは「働く」という選択肢を選んだ。

つまり、それはあなたが望んでやっていることです。
 

あなたの「自由」に基づいて選択したこと。
あなたの「自由」の結果です。
 
 
だから、誇ればいい。
「私は、私の自由と責任において、私の人生を作っている」
 
 
もし、そう思えないのであれば、
あなたは他人の言葉を受け入れて、
誰かが作った「~しなければならない」
という考え方の中で生きているということです。
 
 
っていうのは、本来もともと「やりたいこと」であったとしても、
誰かが作った「~しなければならない」という考え方を
受け入れちゃうと、
「やらなきゃいけないこと(強制されていること)」
になってしまうからです。
 
 
例えば子どもの頃、自発的に勉強しようと
思っていたところで親から「勉強しなさい」
って言われてやる気をなくした経験ってありませんか?
 
 
僕らは強制されていることを「やりたい」とは思えないわけです。
 
 
僕は以前、「『楽しい』の三原則」ってのを提唱しました。
 
1.自らの意思で(好き好んで)
2.クリエイティブに
3.面倒臭いことをする。
 
詳しくは以前僕が作ったメルマガをお読みください
(二通目で止まってますけど^^;)
http://ima.sfuse.jp/lecture.html
 
 
で、誰かから強制された時点で、
「~しなければならない」思考を受け入れた時点で、
「1.自らの意思で(好き好んで)」が潰れてしまうわけです。
 
 
んで、人生がどんどんつまんなくなっていくと。
 
 
だから、逆に言えば他人から受け入れた
「~しなければならない」思考を消していくと、
人生はどんどん楽しくなっていくということでもあります。
 
 
だって、全部自由で、全部自分の「やりたい」
だけで埋め尽くせるんだよ?
 
 
究極的に言えば、ゴミのように生きたって良いわけです。
それがやりたいのであれば。
  
これは皮肉で言ってるんじゃないですよ?
じゃなくて本当にそうだから。
 
だって、僕の自我にとって「ゴミのような生き方」に
思えるようなことでも、あなたにとってはそれが本当に
嬉しくて楽しい生き方なのかも知れない。
 
もしかしたら、結果としてそれこそが人を
幸せにするような価値を見つけることに
なるかも知れない。
 
 
関係ないんですよ。他人がどう思うかなんてのは。
 
 
「自分が選択した結果を、自分の責任として受け入れる」
その覚悟さえあれば、人生は無限に自由です。
 
あとは、あなたが限りある生命時間を
心の底から目一杯楽しめるような生き方をする。
大切なのはそれだけです。
  
 
だからね、徹底的にクリアリングしまくって、
「~しなければならない思考」を一掃して感じたのは、 
 
「ああ、そっか。ゴミのように生きても良いんだ」ってこと。
 
 
別に「だから、ゴミのように生きるぜ!」
とかそういうんじゃないですよ?
 
…若干、それはそれで楽しそうだなぁ、
とは思っちゃったけど(笑)
 
でも、もちろんそれを選択するつもりはありません。
それはそれで楽しくても、もっと楽しい生き方を
するつもりだから。
 
 
でもね、「ゴミのように生きてもオッケー」って感覚は、
他の選択肢を輝かせると思うんだよね。
 
 
ってのはさ、
「どんな生き方をしてもオッケーで、
 どんな結果になったとしてもそれは全部オールオッケーである」

っていう前提があり、
その中で自分が「どれを選ぶか?」ってところで生きるのと、
 
「あれはダメ。こうなってはいけない。
 自分はこのように生きてあんなふうにならなければならない!」

ってところで生きるのと、

 
どっちが楽しいですか?って話。 
 
 

ゴミのように生きてもオッケーだし、
大富豪になってもオッケーだし、
変人を極めてもオッケーだし、
人並みの人生でも全然オッケー。
 
 
みたいに無数の選択肢があり、
それが本質的には全部オッケーである、
っていう中で選ぶのが「本当に嬉しい人生」
なんじゃないかな。
 
んで、その「敢えて選ばなかった選択肢」の存在こそが、
自分が選んだ選択肢を輝かせるんじゃないかって思うんだよね。
 
だって、それこそが「自分の人生を自分で作っている証拠」なわけだから。
 
 
 
だからね、僕はあなたにこう言います。
「ゴミのように生きてもいいですよ。
 もしくは黄金のように生きてもいいですよ。」

「あなたが選んだ人生を、僕は心から応援します^^」


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