自分のことは好きにならなくてもいい。

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こんにちは、「超次元コーチ」サトルンです^^

 
 
今回のテーマは
「自分のことは好きにならなくてもいい」ですが、
現時点で自分のことが大好きなのであれば、
別にわざわざ自分のことを嫌いになる必要はないです(笑)
 
ただ、そうであったとしても
「もしかしたら、ちょっと考えるべきことがあるかもね」
っていう提言も含めてお話をさせていただこうかと思います。
 
 
まず、一個疑問に思うのが
「自分のことが好きとか嫌いとか、
 それって何を基準にしていますか?」ってこと。
 
 
僕ねぇ、首を傾げちゃうんですよ。
「サトルンは自分のこと好き?」
って聞かれても。ポカーンってしちゃうの(笑)
 
だって、好きとか嫌い以前に、
自分のことは「オールOK」だから。
 
 
もちろん、コーチングを実践しているわけだから
「ゴールを達成する自分」っていうのがあるわけで、
それに対して「相応しい自分」と「そうではない自分」
っていう線引きはなんとなくあります。
 
じゃあ、うっかり
「ゴールを達成する自分として相応しくない自分」を
選んじゃった時は嫌な気分にはなるけど、
だからと言って「こんな自分は大嫌い」
じゃないんですよね。
 
「自分らしくなかった(次はこうする)」
 
以上。
 
 
別にわざわざ嫌いになる必要はないわけです。
 
 
だってさー、
「自分という存在は宇宙の中心」なんだぜ?
 
ここで言う「宇宙」っていうのは、
もちろん「自分の認識している宇宙」の
ことなんだけど、それ以上の宇宙っていうのは
存在し得ないんだよ?(自分にとっては)
 
僕は僕の宇宙の中心だし、あなたはあなたの宇宙の中心なの。
 
僕はあなたの宇宙の中心にはなり得ないし、
あなたは僕の宇宙の中心にはなり得ない。
 
 
宇宙は認識されるから存在しているのであり、
あなたの宇宙はあなた無しでは存在しないってことです。
 
って考えたら、自分の存在ってのは宇宙の基準点なわけですよ。
 
数字で言えば「0」。
 
あなたという基準点「0」があり、
それに対して他の存在が「1」とか「17」として存在している。
もちろん、生きている限り、あなたもそれ以外の存在も
常にダイナミックに変化し続けているわけだから
基準点「0」の位置も常に変化し続けています。
 
変化し続けているけれど、
その変化し続ける基準点「0」があなた自身です。
 
 
そんなのさ、無条件に「オールOK」以外ありえないじゃん。
 
だから、「私は私が嫌いです」って言った時点で、
それって何かおかしいわけ。
「好き」とか「嫌い」とかって言ってるってことは、
何かを基準にしているわけでしょ?
 
自分の存在を基準にして、それ以外のものを
「好き」と「嫌い」に分けるのであれば判るけど、
基準点そのものに対して「好き」と「嫌い」とか、
訳わかんなくない?
 
 
だから、
「私は私のことが大好きです!」
っていう人も考えて欲しいのは、
 
「それって何を基準にしているの?」ってこと。
 
「好きな自分」が存在するってことは、
「嫌いな自分」も存在するわけで、
 
それって要は自分自身を裁いているってことじゃん。
それはさ、「もうちょっと自分に優しくても良いんじゃない」
って思うわけよ。
 
少なくとも自分自身に対しては「無条件にLOVE♡」以外
あり得ないってこと
(それ以外の存在に対しても
「無条件にLOVE♡」であればモアベターです)。
 
 
まあ、言葉の解釈は人それぞれなので、
「私は自分のことが大好きだけど、
 それは無条件に好きってことだよ」
っていう場合もあると思うので、
そういうのであればオッケーなわけですが、
 
 
逆にエ○ァのシンジ君みたく
「僕は僕が嫌いだ」って言ってる人は、
まあ確実に自分自身を裁いているわけです。

なんかね、自分に条件をつけてるってことなんですけど、
 
そういう人に対しては、
「だったら、わざわざ自分のことを好きにならなくてもいいよ」
ってことを話します。
 
 
ってのはさぁ、おそらくその条件付けの条件って、
その人の外側から来ているものだから。
まず確実に、「世間で正しいと思われていること」を
鵜呑みにしているはずだから。
つまり「ねばならない」の世界の住人ってこと。
 
前回の投稿で語った「猿山システム」の気配を、
僕はなんとなくそこに感じるんだけど、
 
 
「人とはこうあるべき」みたいな考え方が自分の外側にあり、
それを鵜呑みにし、それをもって自分自身を裁く。
 
おそらく、それ以外で「僕は僕が嫌いだ」にはならないはずなんだよね。
 
 
だって、自分で好き好んで能動的に作った基準であれば、
その基準を超えるのが前提になるはずだから。
なんか間違ったら「らしくなかったなぁ(次はこうする)」
で終わりなはずだから。
 
 
「僕は僕が嫌いだ」の人は、本当は自分が思う
「大好きな自分」なんかにはなりたくないんだよ。
 
 
それっていうのは、心の奥底では納得していないから。
それを正しいと思い込もうとしているけれど、
自分のハートは
「そんなもん欲しくない!
 もっと大切なことが僕にはあるんだ!」
って叫んでいるってことだから。
 
 
であれば、逆に「自分のことを好きになる努力」を
やるほうが危険じゃない?
自分のハートを無視して、
自分の外側の基準に自分を当てはめて
捩じ曲げるってことでしょ?
 
 
そして、自分のハートが求めているものがわからず、
頭でっかちでモノを考え、自分の喜びとか幸せを頭で定義して、
それにハマっていれば「なんか安心」という現代社会の
奴隷の一丁上がりなわけですよ。
 
 
だからね、自分のことは好きにならなくて良いってこと。
そのために努力をするとか論外ですよ。
 
 
「自分自身はオールOK」それ以外にはあり得ないわけです。
 
 
なので、「僕は僕が嫌いだ!」の人がいたら、
 
 
僕はこう言います。
「うん。わざわざ好きにならなくて良いと思うよ」
「まずは、そのままの自分に『オールOK』を出しちゃえ」
「んで、あとはやりたいことをやりまくろう♪」
 
 
 
そして、
「『世間で思われている正しいこと』にオナラぷぅして、
 自分がやりたいことをやりまくれるマインドが
 インストールされる「超次元コーチング」をどうぞ♪」
 
 

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