「猿山の本能」と「猿山システム」

こんにちは、「超次元コーチ」サトルンです^^
 
 
僕は「縦の関係を作ること」を否定しています。
 
誰かを上に見たり、下に見たりする。
人間の存在に甲乙丙をつけたりする。
 
「そういったことが自分の可能性を
 制限することになるよ」
ってことを伝えてきました。
 
 
でもね、どうもこの考え方ってのは
一般的ではないようで。
 

みんな好きですよね。「縦の関係」を作るの。
「あの人は偉い」「あの人はダメだ」
 
「あの人は年収○億稼いでいるから偉い人だ」
「自分は○○だから人よりも劣っている」
「あいつは○○だから可哀想なやつだ」
 
別に誰がいくら稼いでいようが、
あなたには関係のない話だし、
自分の(信じている)尺度で
勝手に他人を裁くのも失礼な話です。
 
あまつさえ、その物差しで自分を測り、
わざわざネガティブな気持ちになってみたりする。
 
 
みんな、口では「自由になりたい」って言いつつ、
自分で自分を制限してしまっているわけです。

それが自分が楽しく生きることを
邪魔しているだけでなく、
能力や可能性そのものを
押さえ込んでいるとも知らずに。
 
 
どうもね、わざわざ自分から奴隷になりに
いってるわけですよ。
もしくは欲望が強い人は
「奴隷の主人」になりたがったり。
 
「社畜は奴隷だ!俺のところに来れば稼がせてやるぜ!」
って言って、来た人を自分のピラミッドの中に
入れて自分が「奴隷の主人」になったりとか。
 
んで、お人好しはそんな「奴隷の主人」を
「この人はこんだけ稼いでいるから偉い人だ」
とか言って崇め奉ってたりする。
 
 
僕はそういうのを変えたくて発信をしているし、
自分のコーチングをオススメしている、
ってのもあります。

自由なマインドで限りある生命時間を
目一杯楽しく生きるのが良い生き方だと
思っているからね。
 
 
 
んで、
「どうしてみんな『縦の関係』が好きなのか?」
ってことを考えてみたわけです。
 
なんとなく、親とか教師とか会社とか、
いわゆる「世間の常識」的なところに
それが埋め込まれているわけで、
その出どころは何なのか?
 
それが権力者にとって都合が良いことであるのは
間違いないわけで、メディアなどを通じて
「仕掛けてきている」ってのはあると思いますけど、
どうもそれだけじゃないっぽい。
 
みんな、自ら好き好んで、それをやっている節がある。
 
 
ってことを考えたときに思い至ったのが
「それこそが生物の本能なんじゃないか」
ってことでした。
 
 
「社会的洗脳」以前に、そもそも僕らが
お猿さんだった頃(もしくはそれ以前)から、
すでにそれは存在していたわけです。
 
自然界を見てみれば一目瞭然で、
群れで行動する哺乳類には
必ず上下関係が存在しています。
 
 
猿山では一番腕力が強い奴がボス猿になり、
食べ物でもメスでも一番良いところをもらう。
序列があって、一番ケンカが弱い個体はイジメられ、
食べ物がなくなれば一番最初に切り捨てられる。
 
そういったピラミッド構造があり、
そして餌場を求めて移動をした先で、
他の群れ(ピラミッド)と闘争をし、
買ったほうが食べ物を手に入れて、
命を繋ぐことができる。
 
敗れた方は餓死するか、
相手のピラミッドの下について
惨めな中で命を繋ぐ。
 
 

「自然界での種としての生存本能」としては、
それは正しいことだと言えます。

みんな生きていたいわけですから、
そのためには甘いことを言っていられない。
弱肉強食。適者生存。
 
それが「自然の掟」であると言えます。
 
 
んで、人間の歴史を考えてみても
同じことが繰り返されてきたわけです。
 
集団があり、集団の中で腕力が強いやつがボスになり、
他の群れに戦争を仕掛けて買ったほうが
ピラミッドの上側に位置する。
 
負けた側は殺されるか奴隷としてピラミッドの下につく。
 
人類の歴史は飢餓との戦いでもあったわけで、
そういう意味ではこれも仕方がないこと
だったのかも知れません。
 
 
しかし、人類の場合は「飢餓との戦い」
っていう名目はかなり早い段階でなくなり
(背景としては常に存在し続けたわけですが)、
それは「権威性」とか「正しさ」の論理に
切り替わっていきました。
 
 
曰く
「我々の王は○○だからお前らを支配する権利がある」
「我々の信じている○○主義は正しいのだから、お前らを支配する権利がある」
 
 
人類の進歩と共に
「腹減ったからお前らの飯よこせ」から
「俺が正しいのだから従え」へと変化し、
単純な「腕力」だけではなく「理屈(正しさ)」の
要素が入るようになっていったわけですが、 
 
 
やってることは、 
「自分がいる集団(ピラミッド)のボス猿になる」
「他の集団(ピラミッド)を制圧して生活圏を拡大する」
 
この2つだけです。
 
ってことで、規模の大小はありますけど本質的には
「腕力でぶん殴る」っていう猿山のお猿さんと
大して変わりはなかったりするわけです。
つまり、人類の歴史は「猿山の本能」で
作られて来たってこと。
 
 
ぜひね、歴史の教科書を紐解いてみて欲しいんですけど、
基本的に全部これで説明できるはずです。
 
 
 
それで僕が言いたいのは
「『縦の関係』を作るのは生物の本能であり、
 人類の歴史なのだから仕方がないことなので諦めましょう」
ではもちろんありません。
 
コーチングの原則!
「過去は全く関係ない」
 
 
僕が声を大にして言いたいのは、
「ぼちぼちさぁ、やめにしない?」ってこと。
 
 
いや、本能なのかもわからんけども、
本能を超えていくのが人間の素晴らしさなわけじゃない?
 
「本能だから仕方がない」っていう論理だったら、
オスが気に入ったメスをレイプするのも
「本能だから仕方がない」になっちゃうわけだけど、
そんな馬鹿な話はないわけで。
  
 
「ちゃんと相手の同意の元にコトを致す」
ってのが大体の文化の中で「正しいこと」なわけで、
ほとんどのオスはちゃんとそれをやっているわけです。
 
 
じゃあ、なんで長い人類の歴史の中で
この「猿山の本能」が続いて来たかっていうと、
いつの間にか「欲望」が「正しさ」の論理に
すり替わっていったからです。
 
最初は単純に腕力が強いやつがボスをやっていたのが、
「私が大衆を支配するのが正しい」って論理を作った奴が
ボスになるようになっていった。
 
つまり、支配される側は「怖いから従う」から
「従うのが正しいから従う」に変化していったわけです。
 
つまり、それが文化になっちゃったってこと。
 
 
もちろん、それが全て悪いというつもりはありません。
頭の良い人(階級が上の人)が法などを整備して、
その中で安定的に暮らしていくことで
人類は発展してきたわけですから。
 
「縦の関係」による機能性というは馬鹿にはできません。
 
 
じゃあ、そこで考えなきゃいけないのは、
我々が「縦の関係」に従う理由っていうのは
「それが自分にとって役に立つから」
以外にはないってことです。
 
それに従うことに旨みがある。
安定して幸せに生きていけるからこそ、
僕らはそれに従う意味があるわけです。
 
おそらく、それが人類の歴史の中で
うやむやにされてきたところだと言えます。
 
 
そのボス猿についていくことで安定的にご飯が食べられる。
だからこそついていっていたはずが、
いつの間にか「従うことが正しいこと」に
すり替えられて、気がついたら自分を犠牲することに
なってしまっている。
 
 
自分を幸せにしない「正しさ」に
従ってどうするんですか?って話ですよ。
 
 
ここまで語って来た通り、
「猿山の本能」に基づいた
「猿山システム(縦の関係のピラミッド構造)」が
必要だったのは、背景として
「飢餓との戦い」があったからです。
 
 
で、確かにそれは重要な問題では
あったわけだけど、今その問題ってありますか?
 
 
あまり知られてないかも知れないけれど、
食料の生産量的には既に20世紀の時点で
人類は飢餓を克服しています。

もちろん今でも飢餓に晒されている人たちは
いるわけだけど、それは分配のシステムが
おかしいのであって「食料の量」の問題では
ないわけです。

っていうか、むしろ旧時代的な「猿山システム」
こそが食料の分配を滞らせて
飢餓を作り出していると言えます。
 
 
もうさ、いらなくない?
「猿山システム」
 
 
もちろん、上でも語った通り
「上下の構造による機能性」ってのは
馬鹿にはできないから、
便宜上、仮の役割としては
まだまだ必要だとは思うけどさ。

「存在としての上下」を作る意味ってないでしょ。
 
 
例えば、会社を作るとして、
「みんな平等」「みんな同じ」だと
指揮系統が混乱するだけで
身動きが取れなくなっちゃうから、
そこは役割として社長がいて、
役員がいて、平社員がいて、で良いわけだけど、
アフター5を過ぎたらみんな平等で
良いわけじゃないですか。
 
 
そもそも日本は民主主義国で「法の下の平等」が
保証されているはずなんだけど、
なんかそこに「存在としての上下関係」が
作られちゃってるよね。
 
「会社で偉い社長さんは休日でも偉いので、
 なんか偉そうにされる」みたいな。
なんとなく「存在としての上下」を
理由に時間外も拘束されたりとか。
 
 
で、それがなんか「正しいこと」と
されているわけじゃないですか。
  
 
それっていうのが「猿山の本能」によって
作られている「根拠のない猿山システム」ってことです。
 
もう、どう考えてもおかしいでしょ?
民主主義国で憲法として保証されている
「法の下の平等」に反しているのに
「正しい」って思われていて、
それが当然の仕組みになっているんだぜ?
 
 
 
だから、そういったものは
これから徹底的にぶっ壊して
いかなきゃいけないんだけど、
その話はここでは置いとくとして、

 
僕があなたに提案することは
「猿山システムを受け入れるのをやめましょうよ」
ってこと。
 
もちろん、会社に勤めていて、
どうしてもそういった構造の中で
生きていかなければならない、
みたいな状況はあるかも知れません。
 
ただ、それを間違っても「正しい」なんて
思う必要はないわけです。
ましてや法的根拠もない誰かが作った
理屈に自分を当てはめて自分自身を
裁くなんてことは論外です。
 
 
そういうことを言ってる人がいたら、
「ああ、この人は『猿山の本能』のままに
 生きているお猿さんなんだね♪」
とでも思って心の中で舌を出しときゃ良いわけです。
 
 
で、その上で自分自身が「猿山システム」から
自由になれる生き方を模索してもらえればと。
 

 
そのためには、まずは自分自身が「猿山の本能」から
自由になること必要があります。
 
他人を上とか下とかで見ない。
勝手に自分の物差しで他人を裁かない。
誰かが作った基準を安易に受け入れない。
 
 
自分が猿山の頂上に向かおうが、
他人の作った上下関係の中で生きようが、
自分で勝手に上下の関係を作ろうが、
それらは全部「猿山の本能」だからね?
 
それらが「正しいこと」だとか勘違いしちゃだめだよってこと。
 
 
ただし、
「『猿山の本能』をマルっと捨てちゃいましょう♪」
なんてことを言うつもりもありません。
 
「猿山の本能」そのものを否定するってことは、
例えば「かけっこでも順位をつけない」みたいな発想で、
「1位を決めるゲームをする」みたいなことも
否定しなければならなくなってしまうので、
それはそれでナンセンスな話です。
 
別に格闘技のチャンピオンを決めるのは悪いことじゃないし。
 
ビジネスであれば、
「競合他社の中で一番良い製品を作る」
「業績をトップにする」っていう意識があるからこそ、
より良いものが生まれていくっていうこともあります。
 
 
つまり「猿山の本能」を「正しいこと」として
認識するのではなく、自分自身の「楽しさ」の
ために使ったり、「社会に提供する機能性」を
追求していくために使うってのは全然OKってこと。
 
「猿山の本能」に支配されるのではなく、
自由自在に便利に使う分には、
それは人生や社会を豊かにすることに繋がるからね。
 
 
「捨てる」のではなく「自由になる」ってのはそういう意味です。
 

そして、そのように在るからこそ
「本当に自分がやりたいこと」も見つかるというものです。
 
 
逆に言えば、「猿山システム」を受け入れている限り
「本当に自分がやりたいこと」ってのはなかなか見つかりません。
 
それっていうのは、誰かが作った、
誰かにとって都合の良い基準なので、
本来のあなたが求めているものとは無関係です。
 
 
そもそも「猿山システム」を受け入れるってのは
「楽に向かう」ってことだから。
誰かの庇護下に入り、それに従う代わりに
安定を得られるのが「猿山システム」です。
 
で、「楽」っていうのはコーチングで言うところの
「現状の最適化(理想的な現状)」ってことだから、
どんどん身動きが取れなくなっていってしまうってこと。
 
 
例えば、大体「猿山システム」が
見せてくるビジョンっていうのは、
「勝ち組」で「安定」している「お金持ち」になって
「一生安泰」みたいなことじゃないですか。
 
この中には、1ミリも「やりたいこと」なんか
含まれてなくないですか?
  
 
そういうのに向かっている限り、
「本当にやりたいこと」に気づくことなんか出来ず、
誰かの作った価値観の中で一生を
過ごすことになってしまうわけです。
 
 
 
なので、そういう意味でも「猿山の本能」のまま
無自覚に「猿山システム」を受け入れてしまうことは
楽しく生きていく上で百害あって一利であると言えます。
 
僕らがお猿さんだったころには
必要だったことかも知れませんが、
21世紀を生きる僕らにとっては
「便利に使う道具」程度のものであって、
「間違っても支配なんかされちゃダメですよ♪」ってお話でした^^
 
 
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