「ハートに従うこと」と「感情に身を任せる」の違い

こんにちは、「超次元コーチ」サトルンです^^
 
 
僕は常々「ハートに繋がって生きる」ということを
お勧めしています。
何かの選択肢で迷っている人がいたら
「ハートに従うといいよ」と伝えるようにしています。
 
 
ただ、気をつけなければならないのは、
「ハートに繋がり、ハートに従って生きる」と、
「感情に身を任せる」は違うってことです。
 
 
前も似たようなことを言いましたけど、
「怖いから、不安だからやらない」
「腹が立つから○○をやる」
みたいなのは、ハートとは全然関係のない話です。
 
っていうのは、出どころが違うから。
 
 
基本的に、感情の出どころっていうのは
「現状維持の本能」だと思えばいいです。
 
自分にとって望ましい状況や、
期待(現状の延長線上にある理想的な状況)が
崩れたとき、人間の脳は悲しみや怒りの感情を
発生させ、それが予期された時に不安や恐怖を
発生させます。
 

これっていうのは、生物としてのわりと
原始的な機能だったりします。
言ってみれば、あなたの中の「お猿さん」の
脳みそが働いているってことです。
 
 
つまり「感情に身を任せる」っていうのは
人間である自分をやめて、
「お猿さん」としての自分を
選んでしまっているってこと。
 
 
まあ、それはそれで「お猿さんとしての喜び」
ってのがあるわけですけど、
おそらく僕の投稿を読んでくれているあなたが
「本当の意味で満足できるもの」ではないはずです。
 
だって、それっていうのは
 
「美味しいもの食べて幸せ」
「好みの異性とエッチして幸せ」
「他人よりも優位に立って幸せ」
「嫌いな人間が不幸になって幸せ」
「ムカつく奴を打ち倒して幸せ」
 
みたいな感情です。
(上2つは別に悪いとは思わないですけどね)
 
 
これを読んでくれているあなたは、
それよりももっと素晴らしいもので
自分の人生を満たしたいと思ってるんじゃ
ないですかね?
 
 
「困っている人を助けたい」とか
「愛する人に幸せになって欲しい」とか
「自分を成長させて夢を叶えたい」とか
 
「みんなをハッピー♪にしたい」とか。
 
 
そういうのが「ハートから来る衝動」です。
 
僕が言う「ハート」っていうのは
「喜びの在り処」のことです。
そして、「(お猿さんではない)人間としての喜び」って
いうのは「愛情」と「進化」の中にしか存在しません。
 
(自分も含めた)大切な人たちが、
より多く、より幸せになること。
自分の好きなこと、やりたいことを
ヤバいレベルでやり遂げられるよう進化すること。
 
 
もちろん、そこには
「自分自身を大切にすること」も含まれます。
(「素晴らしいことをやる自分」なんだから
 大切にしなきゃダメでしょ?)
 
 
そして、人間は自分のハートを蔑ろにしたとき、
「不安や恐怖」ではなく「痛み」を発生させます。
 
 
自分自身を大切にしなかったとき、
愛する人を傷つけてしまったとき、
自らの可能性や創造性を否定したとき、
 
「愛情と進化」ではなく「現状維持」を選んだとき、
 
僕らのハートは「痛み」を感じます。
 
 
だから、僕は
「自分のハートを裏切っちゃいかんですよ」
ってことを言うわけです。
 
 
言い換えれば
「現状維持の本能」は「不安や恐怖」を
発生させ、「楽」に向かわせようとする。

「ハート」は「痛み」を発生させ、
「本当の楽しさ」に向かおうとしている。
 
つまり、真逆のベクトルが僕らの中に
同時に存在しているってことです。
 
 
もちろん、僕はゴリマッチョ主義の根性論が嫌いなので、
「不安や恐怖に裸一貫で特攻しやがれ!」
なんてことを言うつもりはありません。
 

現状では見えていないってだけで、
方法論はいくらでも作り上げることができます。
なので「クリエイティブであれ」
ってことを言っているわけです。

(もちろん、創造性を使うよりも努力と根性で
特攻していくのが得意な人は、それをやるのもOKです)
  
 
っていうことを踏まえた上で、「不安と恐怖」から逃げず、
「やりたいこと」を「やりたいように」、
ハートに従って生きるのが、
「超楽しい生き方」だとサトルンは思うんだぜ!^^
 
 
 
 
 
んで、なかなかそれが出来ない人が多いのは、
「理想的な現状を維持するために
 ハートを否定する生き方」の方が一般的だからです。
 
どうもね、それが世間一般で言うところの
「大人になること」みたいなんですよね。

「甘いこと言ってないでさっさと枠にハマれ。
 それが大人っていうものだ」ってのが
社会の常識みたいなところがあるわけじゃないですか。
 
僕らの親世代なんかはまんま
そんな時代を生きてきたわけですよね。
まあそれでも時代が上向きだった頃は
幸せに生きれたわけですが、
 
もはやそんな時代ではないはずなのに、
なぜか風習としてそれが残っていて、
僕らを蝕んでいるわけです。 
 
つまり、古い時代に最適化された考え方が
呪縛として僕らの心に刻み込まれているってこと。
 
 
で、これっていうのは、なかなかひとりでは
取り外せなかったりします。
特にそういった人たちに囲まれていると。
人間関係を変えれば良いんだけど、
変えるにしても「現状維持の本能」が
邪魔になったりします。
 
僕自身も苦労しました^^;
 
 
 
で、僕の対面のコーチングを受けるメリットの
ひとつとしては、それが大幅にショートカット
できることが挙げられます。
 
結局ね、誰かひとり、完全な味方がいれば、
人って変われるんですよ。
 
もちろんそれは
「現状(の延長線上の未来)のあなたの味方」ではダメで、
「現状の外側のゴールを達成するあなたの味方」
でなければならないわけです
(じゃないと「現状維持の本能」が強化されるだけなんで)。
 
おそらく、あなたの普通のお友達じゃ無理です。
あなたの親兄弟や現状の親友だとますます無理です。
 
むしろね、嫌だと思いますよ。彼らは。
身近なあなたが変わってしまうことが。
(これも「現状維持の本能」です)
 
 
で、「超次元コーチ」であるサトルンは
「現状の外側のゴールを達成するあなたの味方」の
超プロフェッショナルってことです。
 
もちろん、その「味方する」ってことの中には
いろんなものが含まれていて、
言語と非言語を通じて様々なレベルに
働きかけをするわけです。
(エネルギーワークである「遠隔コーチング」だけでも
 変化が起きてしまうのは、そのためです)。
 
 
ぶっちゃけ言ってしまえば、
僕は対価の支払いがあろうがなかろうが、
会った人に対してはなんとなく
「コーチのメンタリティ」でもって
接するようにしています。
(友達として普通に会うだけにしても、
 こっそりエネルギーを”ゆんゆん♪”
 入れ込んでたりします笑)
 
 
でも、「対価の支払い」がない中で
出来ることって限られてるんですよね。
っていうのは、相手が
受け取るキャパが限られているから。
本人が意識として変化を望んでいたとしても、
限界がかなり低いってこと。
 

で、これが遠隔でも対価の支払いがそれなりにあれば、
それなり以上の効果は出せているわけなんですけど、

 
「人生を変えるために必要な対価」を
支払った上での対面のコーチングは
比較にならないほどヤバいよ。 
 
ってことをチラっと言っておきます^^
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