自己責任は楽しい。

「人生のすべては自己責任」

この言葉を聞いて、
あなたはどんなふうに
感じるでしょうか?

「多分正しいんだろうけど、
 なんか重苦しいなぁ」
 
「いろいろ嫌なことがあっても、
 全部自分が悪いってこと?」

もしそういった感想を持った
としたら、それは「自己責任」の
捉え方が少し違っている
かも知れません。

「責任」
つまり、
「責を任う」

ということを考えたとき、
この任う「責」には
2通りの解釈があります。

ひとつは
「責める。咎める」というもの。

あなたがもし「責任を負う」と
いう言葉にネガティブな印象を
持っているとすれば、
こっちの方で解釈しているのでは
ないでしょうか?

何か失敗をしたら、
自分を責めたり咎めたり
しなければならない。

もしくは、
責めたり、咎められることを
素直に受け止めなければならない。

つまりは、
「泥をかぶる」
ということ。
 
確かに、そんなふうに捉えていれば、
「責任を負う」ということが
とても重苦しく感じてしまうのも
無理はありません。

しかし、僕が言う「自己責任」の
「責」とはもうひとつの意味合いです。

それは、
「しなければならないつとめ。義務」

その「つとめ。義務」とはなにか?

「自分の人生に起こることを
 自分の選択と行動の結果として認める」
 ということです。

簡単に言えば、
「他人のせいにしない」
それには
「他人の言葉を鵜呑みにしない」
ということも含まれます。

なにがあっても、
「これは自分の選択の結果である」
として受け止めるだけ。

僕が今話しているのは、
道義とか美徳とか正しさの話では
ありません。

僕がこのブログの中で一貫して
伝え続けている
「楽しく生きる方法」について
お話をしています。

そう。
自己責任を生きるということは
最高に楽しいんですよ。

「自分の人生に起こることは
 良いことも悪いことも、
 自分の選択と行動の結果である」

それを認めるということは、
「自分の人生の主導権は自分にある」
という力強い前提を受け取ることが
できるということです。

つまり、自由を受け取れるのです。

そして、そのように在る限り、
何が起こっても、それを自分の責任として
前向きにクリエイティブに向き合うことが
できます。

逆に。

他人に責任を押し付けるということは、
何かネガティブなことがあったとして、
「俺は悪くないのだから、お前が責任を
 とって全てをやるべきだ」
という姿勢を取るということです。

もちろん、現実社会での行動として、
自分の権利を主張するのは大切なことです。

自分自身の権利を守るために、
他人に責任を追及するという行動が
必要なのであれば、
それは是非やるべきことです。

僕が言っているのは、
“自らのココロの在り方”の話です。

ココロの在り方として、
他人に責任を押し付けるということ。

「この結果は自分の行動や選択は関係ない。
 すべてはあいつが悪い。私は被害者だ!」

と考えることは、

「自分の人生の主導権は自分にはない」
という前提を受け入れることになります。

だって、そうですよね?
要は
「自分には全く選択や行動の自由はなく、
 ただ周囲に翻弄されるだけの存在であった」
ってことを言ってるわけだから、

それはつまり、
自由を放棄しているということです。

そして、他人に責任を押し付けたとき、
人は行動しなくなります。
自発的に状況を改善しようとは
しなくなるのです。

なぜなら
「私は悪くない。あいつが悪い。
 だからあいつがどうにかするべきだ。
 でも、あいつはそれをやってくれない。
 だから私は哀れな被害者だ!」

そうして、他人や人生に対する
不満を垂れ流すだけの存在に
成り下がってしまうのです。

僕は今まで、ネガティブな状況に
しがみついている多くの人たちを
見てきました。

「しがみついている」なんていうと
彼らは怒るかもしれません。

しかし、彼らに共通していることは、
現実的な行動をせず、
他人に対する恨み言ばかりを
言っていることです。

親が悪いから、私はこうなった。
兄弟が悪いから、私はこうなった。
教師が悪い。
学校が悪い。
教育が悪い。
同僚が悪い。
部下が悪い。
上司が悪い。
会社が悪い。
社会が悪い。
あいつが悪い。

そして私は被害者だ!

そんなふうに思っている限り、
人は決して自由にはなれないし、
ポジティブな現実を作ることは
できません。

このブログを読んでくれている
あなたは、こんな極端な考え方を
する人ではないと思います。

しかし、これは僕自身の自戒でも
あるのですが、
僕らは無意識のうちに
「他に責任を押し付けたい」
「誰かに自分の損失の責任を
 とって欲しい」
ということを考えがちです。

そして、その思考に陥っている限りは、
何も前向きなことは考えられません。

他の誰かを恨むことしかできなく
なってしまうのです。

では、なぜ、僕らは
他人に責任を押し付けたいのでしょうか?

答えは”楽”だからです。

自分で労力を使う必要もなく、
自分でアタマを使う必要もなく、
自分で決定する必要もない。

そして、
“楽しい”の3条件を覚えているでしょうか?

・自ら好き好んで
・クリエイティブに
・面倒臭いことをする

その時、僕らは”楽しさ”を感じるのですが、
楽をした時点で、他人に責任を押し付けた
時点で、3条件がすべて潰れるわけです。

自分で決定しない。
→”好き好んで”ない
アタマを使わない。
→クリエイティブではない。
労力を使わない
→”面倒臭い”の否定。

そのようにして人生が
つまらなくなるわけです。

そもそも、
「責任を負いたくない」
というのは
「泥をかぶりたくない」
という心理から来てるわけですが、

自分で前向きな行動をしない限り、
他人のせいにしようが
「泥はかぶったまま」なのです。

例えば、
子どもの頃、親に酷いことを
言われ続けたせいで、
自分に自信が持てず、
人生が上手くいかない、
という状況だったとします。

それを
「親が悪い!親が私の人生を
 どうにかするべきだ!」
なんて責任を押し付けたところで、

「人生が上手くいってない」
という泥はかぶったままなわけです。

そして当然、親は何もしてくれません。
というか、何もできないはずです。
謝ってくれても何の解決もしないし、
そういう親であれば謝ってくもくれない
ことがほとんどでしょう。

つまり、自己責任だろうが、
他人に責任を押し付けようが、

どっちにしても
人生の泥は自分でかぶる以外に
ないのです。

であれば、すべてを自己責任として
引き受けることで、
自分の人生の主導権を取り戻し、
“楽しい”の3条件と共に生きるのが

楽しい生き方と言えるのではないでしょうか?

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